耶麻郡小沼組高柳村

陸奥国 耶麻郡 小沼組 高柳(たかやなき)
大日本地誌大系第32巻 54コマ目

府城の北に当り行程4里6町。
家数24軒、東西1町58間・南北2町2間。
米沢に通る裏街道なり。
二位は大塩川に傍ひ三方田畠なり。

東5町10間雄国新田村の界に至る。その村まで7町10間。
西は村際にて熊倉組熊倉村に界ふ。その村は戌亥(北西)に当り50間余。
南2町51間吉沢村の界に至る。その村は辰巳(南東)に当り4町50間余。
北4町52間館村の界に至る。その村は丑寅(北東)に当り6町20間余。

蒲生氏の時この村に下せ市文書2通、熊倉村と山界争論の時の文書3通、今小沼村肝煎貞蔵が家に蔵む(小沼村と併せ見るべし)。

端村

小沼沢(おぬまさは)

本村の寅(東北東)の方12町にあり。
家数4軒、東西3町・南北3町11間。
所々に散居す。
東は雄国新田の小名小沼沢に連なり三方田畠なり。

滝沢(たきのさは)

本村の寅(東北東)の方28町にあり。
家数4軒、東西3町・南北40間。
山中に住す。
承應元年(1652年)本村の神職山本紀伊が五男茂兵衛、この地に新田を闢き亀沢山という所に滝あるゆえ村名とせしという。

山川

大塩川

村西にあり。
館村の境内より来り、熊倉組熊倉村の界に入りまたこの村の境内に来り、未申(南西)の方へ斜めに流れて小沼村の方に注ぐ。境内を経ること14町余。

関梁

村西にあり。
長7間、土橋なり。大塩川に架す。
熊倉村に通る経路なり。

水利

赤羽堰

村北にて大塩川を引き田地に(そそ)吉沢村の方に注ぐ。

神社

諏訪神社

祭神 諏訪神?
相殿 伊勢宮 2座
   稲荷神 2座
   山神  2座
   熊野宮
   宗像神
   十二所神
   権現
草創 不明
村中にあり。
天正中(1573年~1593年)葦名氏の臣関柴村松本備中、葦名氏に叛き伊達政宗の軍兵を引入し時、沼沢出雲実通自ら討手を請て関柴村に馳向う。社前に穀葉の紋を透せる掛燈籠あるを見て諏訪の社なるを知り、叛臣降伏の祈願をこらし、速に松本を誅戮(ちゅうりく)し伊達の軍勢を討敗しりというはこの社の事なり。その後葦名家の崇敬あさからざりしとぞ。
鳥居幣殿拝殿あり。

寶物

獅子仮面  2枚。
猿田彦仮面 2枚。何れも古物と見ゆれども作者・年暦共に詳ならず。

神職 山本源之進

寛永の頃(1624年~1645年)紀伊藤原度房当社の神職となる。今の源之進常信が8代の祖なり。

寺院

西光寺

村中にあり。
山號を高慶山と称す。真言宗府下大町弥勒寺の末山なり。
縁起を按ずるに、昔この寺に阿弥陀堂あり。堂中に『開基大永元年辛巳三月廿四日文一聖人』と書付ありしという(大永元年:1521年)。
本尊弥陀客殿に安ず。

不動堂

端村滝沢の北3町、亀沢の山中にあり。
剏建の始を知らず。村民の持なり。
堂の北に高4丈・幅2間計の瀑布あり。不動滝という。

古蹟

館跡2

一は村の辰巳(南東)の方3町にあり。東西15間・南北16間。何の頃にか坂井雅楽某という者居住せしという。土居の形わずかに存せり。
一は村東2町30間にあり。何の頃にか野部清吾某という者居るという。
共に今は畠となる。








最終更新:2020年07月07日 22:46