この村は萬治3年(1660年)大塩平左衛門という者闢し地なり。平左衛門は出羽国秋田郡の住人五十嵐淡路守頼常が子孫なり。淡路守より18世の孫和泉吉常耶麻郡の内大塩村100貫文の地を領し、子孫世々ここに住す。加藤氏の時に至て大塩氏と改め禄100石を与えて代官とす。当家に至て大塩平左衛門という者小沼組数村を総て郷長の如くにてありしが、明暦3年(1657年)この地に新田を開かんことを請い、私費を以て山若干里を堀抜き本郡雄国谷地の出水を引いて小沼組小沼・高柳・金沢3村の地に漑ぎ新田を闢き村落を構ふ。萬治3年にその功成就す。名けて雄国新田という。
この地東西17町・南北20町山腰に在て、東高く西卑く地勢平野の如し。東は小沼・高柳・金沢3村の山に連なり、西は小沼・金沢村に隣り、南は常世村、北は高柳村に隣れり。その中民居数区あり数町を隔つ。
本称の村なければ各小名を以て分つ。七本木・本林・蘆平・獅子沢という。
また小名の内に小名あり。
小名
七本木
この民居旧金沢村の境内なり。古1株にて幹7本に分れし古木ありし故名くという。
府城の北に当り行程4里。
家数13軒、東西1町30間・南北3町。
四方田畠なり。
東13町余
金沢村の山に界ふ。
西3町
金沢村の界に至る。その村は戌亥(北西)に当り10町10間余。
南1町30間
常世村の界に至る。その村は未申(南西)に当り14町。
小名 中七本木
七本木の東3町にあり。
家数5軒、東西42間・南北1町6間。
北は本林の民居につづき三方田畠なり。
小名 川前
七本木より辰(東南東)の方5町にあり。
家数13軒、東西1町・南北2町18間。
四方田畠なり。
この村旧上川前村の農民来り開きし故名くという。
小名 桑沢
七本木の東8町余にあり。
家数5軒、東西1町・南北2町12間。
四方田畠なり。
澤辺に桑木多き故名くという。
小名 三屋
七本木より寅(東北東)の方8町にあり。
家数3軒、東西3町6間・南北35間。
東西南は田畠、北は桑沢に連なれり。
本林
七本木より寅卯(東北東~東の間)の方3町にあり。
家数22軒、東西2町22間・南北22間。
南は中七本木に隣り東西北は田畠なり。
西3町16間
金沢村の界に至る。その村まで12町。
北1町30間蘆平に至る。
また
戌亥(北西)の方5町55間
辻村の界に至る。その村まで13町30間余。
小名 八木沢
本村の東9町10間余にあり。
家数5軒、東西1町2間・南北2町10間。
四方田畠なり。
蘆平
本林の北1町30間にあり。
この地旧蘆野故名くという。
家数22軒、東西5町・南北2町。
四方田畠なり。
西2町41間
辻村の界に至る。その村まで13町50間余。
南は本林に隣る。
北10町
小沼村の山に界ふ。
小名 萩平
蘆平の東11町50間にあり。
家数4軒、東西2町・南北1町。
四方田畠なり。
小名 中丸
萩平の丑寅(北東)の方3町にあり。
家数2軒、東西1町・南北20間。
四方田畠なり。
獅子沢
蘆平より亥(北北西)の方、小沼村の端村勝本新田を隔て14町にあり。
家数6軒、東西2町20間・南北1町40間。
四方田畠なり。
西2町・北9町56間、共に
高柳村の界に至る。その村は西に当り7町10間。
南3町
小沼村の界に至る。その村は申(西南西)に当り12町。
また
未申(南西)の方1町36間
吉沢村の界に至る。その村まで7町10間余。
小名 森代
獅子沢より辰巳(南東)の方5町10間余にあり。
家数5軒、東西1町・南北57間。
南は勝本新田に並び東西北は田畠なり。
小名 沢
獅子沢より卯辰(東~東南東の間)の方3町10間にあり。
家数11軒、東西7町余・南北1町2間。
所々に散居す。
四方田畠なり。
小名 蟹沢
獅子沢の北3町10間にあり。
家数5軒、東西38間・南北2町20間。
所々に散居す。
四方田畠なり。
小名 隠里
獅子沢より寅卯(東北東~東の間)に当り蟹沢を隔て9町にあり。
家数4軒、東西1町15間・南北40間。
所々に散居す。
四方田畠なり。
小名 小沼沢
獅子沢より丑寅(北東)の方10町にあり。
家数2軒、東西25間・南北35間。
西は高柳村の端村小沼沢に連なり東南北は田畠なり。
水利
雄国掘抜堰
蘆平ほ東2里余にあり。
本郡雄国沼の水を引き小沼峠の半腹を掘抜くこと180間、小沼村の山中を経ること1里18町計、戸石平という所より漸々に分て田地に
漑ぎ下流
小沼村・
金沢村・
辻村・
吉沢村・
常世村の養水とす。
古蹟
寺屋敷跡
七本木より辰(東南東)の方5町にあり。
本寺村恵日寺繁栄の時ありしという。今観音堂・鐘楼の跡あり。何の頃廃せしにか詳ならず。
また蘆平より1町計北の畠の中より古瓦を得ることあり。
また獅子沢より3町計辰(東南東)の方畠の中より石砮を堀得ることあり。
余談。
新編会津風土記編纂時期と今では地名も異なりますが、おそらく村や街道の発展と共に家々の位置も変わっていると思われます。参考として明治~昭和の頃の付近の地図を載せておきます。
※地理院地図(明治43年測図/昭和6年修正)
最終更新:2024年02月28日 18:19