耶麻郡小沼組金森村

陸奥国 耶麻郡 小沼組 金森(かなもり)
大日本地誌大系第32巻 61コマ目

府城の北に当り行程3里8町。
家数24軒、東西1町40間・南北1町30間。
四方田圃(たんぼ)なり。

東23間塩川組中屋敷村の界に至る。その村まで1町40間余。
西6町15間塩川組下利根川村の界に至る。その村まで11町40間。
南5町15間塩川組竹屋村の界に至る。その村は辰巳(南東)に当り10町計。
北5町56間常世村の界に至る。その村まで1町20間。
また
未(南南西)の方10町15間塩川組上窪村の界に至る。その村まで13町余。


水利

赤羽堰(境見川(さひみかわ)

境見川ともいう。
常世村の方より来り田地に(そそ)上窪村の方に注ぐ。

神社

熊野宮

祭神 熊野宮?
相殿 婆権現
   熊野宮
草創 不明
村の未申(南西)の方2町50間にあり。
鳥居幣殿拝殿あり。高柳村山本大隅が司なり。



余談。
はじめ婆権現は婆神(奪衣婆やおんばさま)と同一かと思ったのですが、飯豊山の女人禁制なのに登ったら石化してしまった女性の話が元になっているのでは?と考察してみました。雨や清水に関連した話なので、雨ごいの神として祭られていたのではないかと。

最終更新:2020年07月10日 19:25