耶麻郡小田付組宮前村

陸奥国 耶麻郡 小田付組 宮前(みやのまへ)
大日本地誌大系第32巻 83コマ目

この村もと上岩崎村と1村なり。天正18年(1590年)別村となり、八幡宮の前なるをもて村名とす。

府城の北に当り行程5里18町。
家数20軒、東西3町10間・南北50間。
東は山に()ひ、南は下岩崎村の端村中河原につづき、田圃(たんぼ)なり。

東5町27間上岩崎村の界に至る。その村は辰(東南東)に当り12町30間。
西1町16間五目組中村の界に至る。その村は戌(西北西)に当り2町40間余。
南は村際にて下岩崎村に界ふ。その村まで1町。
北14町天井沢村の界に至る。その村まで6町30間余。

端村

大用門前(たいいようもんせん)

本村の東6町20間にあり。
家居1軒。
大用寺の境内にあるゆえ名く。

水利

天井沢村の方より来り田地の養水とし下岩崎村の方に注ぐ。

神社

八幡宮

祭神 八幡宮?
勧請 永和3年(1377年)
村中にあり。
相伝て、永和3年(1377年)に勧請すという。その後天正中(1573年~1593年)兵火の為に燒亡す。文禄2年(1593年)岩崎村平田三平というもの再興せしとぞ。
鳥居幣殿拝殿あり。小荒井村修験小洗寺司なり。

寺院

大用寺

村東7町計にあり。
多寶山と號す。大町弥勒寺の末山、真言宗なり。
開基詳ならず。
永和元年(1375年)宥海という僧再興す。
天正年中(1573年~1593年)兵燹(へいせん)に罹り書記・什物焼失し世々の履歴を伝えず。
本尊釈迦客殿に安ず。

釈迦堂

境内にあり。
釈迦の像、長5尺3寸8分、眦首羯磨作という。

熊野宮

釈迦堂の東にあり。





最終更新:2020年08月09日 21:17