耶麻郡小田付組上岩崎村

陸奥国 耶麻郡 小田付組 上岩崎(かみいはさき)
大日本地誌大系第32巻 86コマ目

この村もとは岩崎村とて1村なり。天正18年(1590年)下岩崎・宮前の2村を分ち3ヶ村とせり。

府城の北に当り行程5里17町余。
家数16軒、東西1町24間・南北2町5間。
四方田圃(たんぼ)にて東は大沢村に連なる。

西9町58間下岩崎村の界に至る。その村は申(西南西)に当り14町余。
南8町30間稲村の界に至る。その村は未(南南西)に当り12町20間。
北1町13間大沢村に界ふ。
また
戌(西北西)の方2町宮前村の界に至る。その村まで12町30間。
亥(北北西)の方11町天井沢村の界に至る。その村まで21町30間。
巳(南南東)の方7町30間上田村の界に至る。その村まで11町20間余。

もと十方宮・大沢入とて2の端村あり。農事の便あしければ寛政13年(1801年)天井沢村に属す。

端村

原坊(はらのはう)

本村より申(西南西)の方3町10間余にあり。
家数8軒、東西30間・南北1町17間。
四方田圃なり。

寺窪(てらくほ)

本村の北7町40間余にあり。
家数2軒、東西32間・南北15間。
東は田付川に傍ひ三方に田畝あり。

栢原(かしははら)

本村の西4町40間余にあり。
家数2軒、東西21間・南北22間。
四方田圃なり。

長窪(なかくほ)

本村の亥(北北西)の方13町50間余にあり。
家数7軒、東西1町17間・南北27間。
西は田圃にて三面は山に傍ふ。

山川

八森山(はちがもりやま)

村より亥子(北北西~北の間)の方18町計にあり。
頂まで1町計。
天正中(1573年~1593年)遠藤助兵衛某というものここに柵をつけて伊達氏の兵を防し処という。
松樹雑木多し。

田付川

村北2町30間にあり。
入田付村の方より来り、南に流れ西に転じて稲村の界に入る。
境内を経ること凡30町余。

水利

端村長窪より寅(東北東)の方6町、山中にあり。
東西26間・南北1町40間。

神社

稲荷神社

祭神 稲荷神?
鎮座 不明
村中にあり。
鳥居あり。熊倉村山口美濃これを司る。

稲荷神社

祭神 稲荷神?
相殿 伊勢宮
   山神
鎮座 不明
端村寺窪の北、山の半腹にあり。
鳥居あり。山口美濃が司なり。

羽黒神社

祭神 羽黒神?
相殿 稲荷神 5座
   八幡宮
   伊勢宮
   伊豆神
   山神
   総社
鎮座 不明
端村長窪の丑寅(北東)の方、山上にあり。
鳥居あり。山口美濃これを司る。

稲荷神社

祭神 稲荷神?
鎮座 不明
端村寺窪の西、山足にあり。
村民の持なり。

古蹟

館跡

村中にあり。
東西51間・南北50間。
大永の頃(1521年~1528年)遠藤助兵衛(大隅ともいう)築くという。今は民屋となる。

弘海壇

村南7町にあり。
高5尺・周2間。
何の頃にか本州仙台の産弘海という僧入定(にゅうじょう)の処という。

鶏塚(にはとりがつか)

村より亥(北北西)の方6町にあり。
高3尺計。
相伝ふ。昔端村長窪の農民利兵衛というものの先祖池亀外記というもの、如何なるゆえにかこの地に鶏千羽を埋めて塚とし上に1株の松を栽しという。咳嗽(がいそう)を患うもの祈願すれば験ありとぞ。今も古松樹あり。

旧家

遠藤荘右衛門

この村の肝煎なり。世々遠藤助兵衛が館跡に住しその裔孫なりという。先祖の槍とて家に蔵む。





最終更新:2020年07月24日 22:24