府城の北に当り行程5里26町。
家数19軒、東西2町52間・南北1町32間。
四方田畠なり。
また村南15町、端村百目の南に1区あり。二貫という。
家数5軒、東西40間・南北35間。
四方田圃なり。
端村
堰根
本村の北5町10間余にあり。
家数12軒、東西52間・南北2町24間。
東は天井沢村に続き西南北は田畠なり。
下中村
本村より未(南南西)の方3町40間余にあり。
家数16軒、東西48間・南北54間。
四方田畠なり。
百目
本村の南13町10間余にあり。
家数7軒、東西1町4間・南北24間。
四方田畠なり。
水利
八方堰
村北17町余にて日中川を引き田地を潤し下流分れて数村の田畝に漑ぎ、田地91町余の養水となる故この名あり。
神社
熊野宮
祭神 |
熊野宮? |
相殿 |
伊勢宮 |
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稲荷神 |
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伊豆神 |
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山神 |
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雷神 |
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天神 |
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婆神 |
草創 |
不明 |
村中にあり。
鳥居あり。上三宮村高村能登が司なり。
伊豆神社
端村下中村にあり。
鳥居あり。高村能登が司なり。
寺院
永昌寺
村より申(西南西)の方2町50間余にあり。
曹洞宗圓國山と號す。開基の年月知らず。
寛永中(1624年~1645年)憐尭が時熱塩村示現寺17世楊室を請て中興開山とせしより示現寺の末山となる。
地蔵を本尊とし客殿に安ず。
古蹟
阿弥陀堂跡
村南13町にあり。
今は原野となる。
昔来迎寺という寺あり。何の頃にか廃し、ただ堂のみ存し慈覚作の三尊弥陀の大佛を安置す。
村老の説に、應仁の頃(1467年~1469年)山名左衛門というものあり(何人なることを伝えず)。ある時日中川に出て川狩をせしに、鮭魚許多を獲り、来迎寺坊中の僧等に命じ桔梗と蕨の葉につつみ藤蔓に束てこれを負しむ。僧等憂てこの佛に祈誓せしに、その威徳により彼の三草枯絶て今にこの辺に生せず。またこの時日中川も俄に押切て西に流れ今の水道となるという。その後天正中(1573年~1593年)兵火に焼夷せられし時も神女天振り、炎火の中よりこの三尊をとりあげその難を遁れるという。
延寶中(1673年~1681年)府より命じて上三宮願成寺に移す。
最終更新:2020年08月09日 21:26