耶麻郡小田付組天井沢村

陸奥国 耶麻郡 小田付組 天井沢(あまいさは)
大日本地誌大系第32巻 83コマ目

昔天谷沢村という。文禄3年(1594年)今の名に改む。

府城の北に当り行程5里26町余。
家数25軒、東西1町34間・南北1町40間。
東北は山に()ひ西南に田圃(たんぼ)あり。

東4町30間余上岩崎村の山に界ふ。
西1町15間五目組中村の界に至る。その村は申(西南西)に当り4町20間。
南4町40間宮前村の界に至る。その村まで6町30間余。
北25町11間五目組栗生沢村の山界に至る。その村まで1里4町余。

昔ここより北7町に大沢入という端村あり。今はなし。

端村

西村(にしむら)

本村の西40間にあり。
家数5軒、東西55間・南北59間。
西は中村の端村関根につづき三方に田圃あり。
昔この地に聖徳太子の堂あり。後廃して太子堂屋敷という字今に残れり。

木戸口(きとくち)

本村の申(西南西)の方2町余にあり。
家数3軒、東西27間・南北2町8間。
散居す。
四方田畠なり。

十方宮(しつはうのみや)

旧は上岩崎村の端村なり。耕稼の便悪きとて寛政12年(1800年)この村に属す。
本村の東40間にあり。
家居1軒、南に田圃ありて三方は山に傍ふ。

大沢入(おほさはいり)

これも十方宮と同じく上岩崎村より移せし端村なり。
本村の子丑(北~北北東の間)の方10町40間余にあり。
家数6軒、東西1町59間・南北25間。
山間に住す。

山川

中山

村北6町にあり。
頂まで2町計。東北の方に五貫沢・大沢入という小山つづき、東は上岩崎村に界ひ、北は五目組宇津野村に界ふ。
松樹・雑木多し。

水利

中村の境内より来る八方堰を分ち田地の養水とし宮前村の方に注ぐ。

村の丑寅(北東)の方9町にあり。
周90間。

神社

住吉神社

祭神 住吉神?
相殿 伊勢宮 2座
   稲荷神 3座
   鬼渡神
   山神
   宗像神
   石神
鎮座 不明
村の亥(北北西)の方4町にあり。
鳥居あり。熊倉村山口美濃が司なり。

寺院

能満寺

村中にあり。
天谷山と號す。曹洞宗、五目組熱塩村示現寺の末山なり。
何れの時にか能勝という僧中興すという。
客殿に地蔵の古佛あり。長8寸7分、座像なり。昔村より戌亥(北西)の方に辻の地蔵と称してこれを安置せる堂宇あり。後廃してここに移すという。
十一面観音を本尊とし客殿に安ず。

虚空蔵堂

能満寺の南にあり。
3間四面、東向き。
虚空蔵を安ず。木像、長1尺8寸、作者知れず。
堂宇の制造やや精密なり。この堂に鳥雀巣を作らず翼を休めずという。何れの時の建立にか極めて古代の造営と見ゆ。
また寛文の初(1661年~)までここより北に並び不動堂あり。長1尺8寸の木像に『文和癸巳暦奉新造不動明王大檀那法眼豪祐大佛士法橋乘圓』と書付ありて堂宇の制造虚空蔵よりもなお古かりしとぞ(文和癸巳暦=文和2年:1353年)。不動は近頃盗の為に失い堂も頽破(たいは)せしを、今は修補して仮に能満寺の佛殿とす。
能満寺司る。



最終更新:2020年07月22日 19:58