昔天谷沢村という。文禄3年(1594年)今の名に改む。
府城の北に当り行程5里26町余。
家数25軒、東西1町34間・南北1町40間。
東北は山に傍ひ西南に田圃あり。
東4町30間余
上岩崎村の山に界ふ。
西1町15間
五目組中村の界に至る。その村は申(西南西)に当り4町20間。
南4町40間
宮前村の界に至る。その村まで6町30間余。
北25町11間
五目組栗生沢村の山界に至る。その村まで1里4町余。
昔ここより北7町に大沢入という端村あり。今はなし。
端村
西村
本村の西40間にあり。
家数5軒、東西55間・南北59間。
西は中村の端村関根につづき三方に田圃あり。
昔この地に聖徳太子の堂あり。後廃して太子堂屋敷という字今に残れり。
木戸口
本村の申(西南西)の方2町余にあり。
家数3軒、東西27間・南北2町8間。
散居す。
四方田畠なり。
十方宮
旧は上岩崎村の端村なり。耕稼の便悪きとて寛政12年(1800年)この村に属す。
本村の東40間にあり。
家居1軒、南に田圃ありて三方は山に傍ふ。
大沢入
これも十方宮と同じく上岩崎村より移せし端村なり。
本村の子丑(北~北北東の間)の方10町40間余にあり。
家数6軒、東西1町59間・南北25間。
山間に住す。
山川
中山
村北6町にあり。
頂まで2町計。東北の方に五貫沢・大沢入という小山つづき、東は上岩崎村に界ひ、北は五目組宇津野村に界ふ。
松樹・雑木多し。
水利
堰
中村の境内より来る八方堰を分ち田地の養水とし
宮前村の方に注ぐ。
堤
村の丑寅(北東)の方9町にあり。
周90間。
神社
住吉神社
祭神 |
住吉神? |
相殿 |
伊勢宮 2座 |
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稲荷神 3座 |
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鬼渡神 |
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山神 |
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宗像神 |
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石神 |
鎮座 |
不明 |
村の亥(北北西)の方4町にあり。
鳥居あり。熊倉村山口美濃が司なり。
寺院
能満寺
村中にあり。
天谷山と號す。曹洞宗、五目組熱塩村示現寺の末山なり。
何れの時にか能勝という僧中興すという。
客殿に地蔵の古佛あり。長8寸7分、座像なり。昔村より戌亥(北西)の方に辻の地蔵と称してこれを安置せる堂宇あり。後廃してここに移すという。
十一面観音を本尊とし客殿に安ず。
虚空蔵堂
能満寺の南にあり。
3間四面、東向き。
虚空蔵を安ず。木像、長1尺8寸、作者知れず。
堂宇の制造やや精密なり。この堂に鳥雀巣を作らず翼を休めずという。何れの時の建立にか極めて古代の造営と見ゆ。
また寛文の初(1661年~)までここより北に並び不動堂あり。長1尺8寸の木像に『文和癸巳暦奉新造不動明王大檀那法眼豪祐大佛士法橋乘圓』と書付ありて堂宇の制造虚空蔵よりもなお古かりしとぞ(文和癸巳暦=文和2年:1353年)。不動は近頃盗の為に失い堂も頽破せしを、今は修補して仮に能満寺の佛殿とす。
能満寺司る。
最終更新:2020年07月22日 19:58