昔は中田付村と1村なり。正保2年(1646年)に分つ。
府城の北に当り行程5里17町余。
家数16軒、東西1町54間・南北2町50間。
西は
上岩崎村に連なり、南に
田圃ありて東北は山に近し。
東4町35間
中田付村の界に至る。その村は辰(東南東)に当り5町20間余。
南6町36間
上田村の界に至る。その村まで11町20間余。
北3町9間
入田付村の界に至る。その村まで30町。
山川
大佛山
村より寅(東北東)の方20町余にあり。
高60丈。
何れの時にか大佛堂を建し所なりとぞ。今はなし。
この山さのみ高からざれども衆山の中に特立し、府下の近郊よりもその形著しく見ゆるゆえ里俗会津富士と称す。
天正13年(1585年)葦名氏伊達勢とこの地に戦い死傷多き所ゆえ、今に武器の類を得ることありという(
中田付村龍泉寺林の条下と併せ見るべし)。
松樹雑木多し。
火附沢
村東5町にある山の字なり。
伊達勢この地に屯して民家に火をかけし所という。
神社
白山神社
村南2町50間にあり。
鳥居あり。熊倉村山口美濃これを司る。
三島神社
村東2町余にあり。
前に清水あり。御手洗清水という。
鳥居あり。村民の持なり。
古蹟
館跡
村中にあり。
東西20間・南北18間。
蓮沼信濃某居るという。
また東の方2町50間余に的場の迹あり。
最終更新:2020年07月31日 19:41