耶麻郡小田付組上田村

陸奥国 耶麻郡 小田付組 上田(うはた)
大日本地誌大系第32巻 88コマ目

府城の北に当り行程5里6町余。
家数22軒、東西3町15間・南北1町6間。
四方田圃(たんぼ)なり。

東2町稲田村の界に至る。その村は辰(東南東)に当り2町40間余。
西3町9間稲村の界に至る。その村まで4町50間余。
南4町54間下台村の界に至る。その村まで8町40間余。
北3町12間大沢村の界に至る。その村まで11町20間余。
また
未(南南西)の方8町3間小田付村の界に至る。その村まで16町。
丑(北北東)の方2町42間中田付村の界に至る。その村まで4町40間余。
亥(北北西)の方3町24間上岩崎村の界に至る。その村まで11町20間余。

端村

西村(にしむら)

本村の西3町余にあり。
家数5軒、東西1町15間・南北1町30間、四方田畑なり。

下村(しもむら)

本村の南3町余にあり。
家数13軒、東西1町6間・南北47間、四方田圃なり。

滝川(たきかは)

本村より寅(東北東)の方1町30間余にあり。
家数4軒、東西1町15間・南北24間。
四方田圃にて北に須蟹沢川あり。

山川

須蟹沢川(すかにさはかわ)

中田付村の方より来り、村中を過ぎ南に流るること14町10間余小田付村の界に入る。
広3間計。多く蟹を産す。

清水2

一は村東6町にあり。殿田清水(てんたしみず)という。周9間。
一は村より辰(東南東)の方2町30間にあり。周3間、床机清水という。

水利

下台堰

端村滝川の北にて須蟹沢川を引き下台村の方に注ぐ。

滝川の北にて須蟹沢川の上に架す。
長6間・幅5尺。

神社

稲荷神社

祭神 稲荷神?
相殿 那摩利七世神 地主神なり
   伊勢宮
   八幡宮
   幸神
鎮座 不明
村より未(南南西)の方7町余にあり。
鳥居拝殿あり。熊倉村山口美濃これを司る。

熊野宮

祭神 熊野宮?
勧請 不明
村の東北にあり。
林木繁茂して古社と見ゆ。
鳥居あり。山口美濃これを司る。

寺院

洞昌寺

端村西村にあり。
曹洞宗光重山と號す。熱塩村示現寺の末山なり。
開基の僧を齢岩という。齢岩は示現寺15世の法孫なり。
弥陀を本尊とし客殿に安ず。

古蹟

塚2

共に村の申(西南西)の方8町余にあり。
一は高9間・周53間。
一は高3間・周23間。
その謂れを詳にせず。

旧家

鈴木善兵衛

この村の肝煎にて紀伊国藤代の住鈴木三郎重家が末裔なり。重家は源義経本国下向の時従い来り高舘にて討死せり。その頃重家が子、父のゆくえを尋んため修験に身を替え常光坊と称し本国に下りしに、父が討死を聞きこの村に止り熊野宮を勧請し代々修験を相続す。然るに重家より8代の孫大壽院が子少納言というもの鈴木善左衛門と称してこの村の肝煎となり、子孫相続いて今に至るという。
藤代の鈴木三郎というものの家へ今に書翰(しょかん)往復して同性の好をなすとぞ。






余談。
はっきりとしたことは分かりませんが、稲荷神社の相殿神にある那摩利七世神は今の山首神社の祭神でしょう。那麻里七世神を調べても来由が出てこないので、昔この地域を支配していた豪族の名前かと思われます。
最終更新:2020年07月26日 10:53