耶麻郡小荒井組清治袋村

陸奥国 耶麻郡 小荒井組 清治袋(せいぢふくろ)
大日本地誌大系第32巻 100コマ目

昔この村の農民によく酒袋を製れるものありてその名を清治といいければ、人々もてはやし何つとなく村名となれり。近頃まで清治が袋村と唱えしという。

府城の北に当り行程4里21町余。
家数26軒、東西2町10間・南北1町6間。
四方田圃(たんぼ)なり。

東3町熊倉組上高額村に界ひ田付川を限りとす。
西は村際にて塚原村に界ふ。その村は戌(西北西)に当り3町余。
南2町42間高吉村の界に至る。その村は未(南南西)に当り9町10間余。
北1町57間小荒井村の界に至る。その村は亥(北北西)に当り3町30間余。

山川

田付川

村東3町20間にあり。
小荒井村の方より来り、1町余南に流れ高吉村の界に入る。

神社

熊野宮

祭神 熊野宮?
鎮座 不明
村西1町10間にあり。
天正5年(1577年)再興すという。
鳥居拝殿あり。小荒井村修験小洗寺司なり。

墳墓

五輪1基

村北墓所の中にあり。
土人菅原時吉の塚といい伝う。何の頃の人なる事詳ならず。
彫たる文字あれども磨滅して分明ならず。その制古代のものとも見えず。



追記。
とんりすんがりさんより情報頂きました。
塗物町というのは喜多方駅北東、県道210号から南側、熊野神社や佐原病院、喜多方一中のあたりまで一帯を指します。清治袋村というのは現在の塗物町一帯を指すようです。
との事です。昔は通り通り全体が漆器の町だったのですね。



最終更新:2020年08月05日 13:05