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会津郡南青木組大豆田村 - (2020/03/17 (火) 13:45:52) の編集履歴(バックアップ)
この村旧塩森・上台・二屋・上田とて4区に住す。元禄中(1688年~1704年)宇都宮街道を開きし時、塩森・上台・二屋の3区を集めて1村とす。
府城の南に当り行程3里5町余。
家数19軒、東西20間・南北3町。
東は山に近く北は香塩村に続き西南は田圃なり。
また辰巳(南東)の方6町に1区あり。上和田という。
家数7軒、東西23間・南北59間。
東は山に倚り三方田圃なり。
山川
蛇石
村南8町にあり。
長1丈7尺。形を以て名くという。
今土中に埋もれて首尾の形は見えず。
鶴沼川
村より未申(南西)の方6町余にあり。
小塩村の境内より来り、北に流るること2町20間、
香塩村の界に入る。
闇川
村南9町にあり。
闇川村の境内より来り、西に流るること6町40間余、鶴沼川に入る。
広10間余。
摺鉢清水
村西にあり。
2間に1間半。
村中の用水とす。
関梁
闇川橋
村南9町。
小塩村の通路、闇川に架す。
長10間余・幅2間。水面より高きこと9間。
相伝う。昔聖徳太子、百済斑人路子麿をして諸国に180の橋を作らしめ給いし、その一なりとぞ。
昔は両崖より漸々に巨材をかさね越して相接し橋柱を用いず。
加藤氏の臣堀主水、会津を立退く時焼拂いしはこの橋なり。
実にもここは両崕高く峙てるゆえ、橋なくては通路も絶えて成難きに、昔両岸より数多の蛇群がり出て半に至り互いに尾を接えければ、これにならい橋を架せしと里民いえり。後に修補に便ならずとて承應中(1652年~1655年)両岸の山を割て切通とし、橋を今の所に架せり。
神社
三島神社
祭神 |
三島神? |
相殿 |
稲荷神 3座 |
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伊勢宮 2座 |
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熊野宮 |
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山神 |
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地神 |
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権現 |
鎮座 |
不明 |
村中にあり。
鎮座の初、詳ならず。
鳥居あり。府下東黒川
蚕養宮村佐瀬大隅が司なり。
橋姫神社
闇川橋の西にあり。
鳥居あり。佐瀬大隅が司なり。
寺院
東雲寺
村中にあり。
曹洞宗龍澤山と號す。天寧村
天寧寺の末山なり。
縁起を按ずるに、旧高久組
界沢村にありて、金屋尾張守(諱を失う)という者の開基なり。天正16年(1588年)伊達氏の乱(伊達氏の乱は17年なり。16年とあるもの疑うべし)に
燒亡し、天寧寺11世監室という僧再興す。慶長11年(1606年)雲龍という僧住し監室を以て開山とせしとぞ。旧ここに塩島山林泉寺という洞家の寺あり。寛文中(1661年~1673年)廃寺となり、元禄4年(1691年)この寺を移せり。
本尊釈迦客殿に安ず。
古蹟
壇
村南菜圃の中に16あり。
7町計の間に布置す。高2尺より5尺余に至る。俗に十六壇と唱ふ。
その来由を詳にせず。
- 百済斑人路子麿→路子工?(Wikipedia)
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