大沼郡永井野組松沢村

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大沼郡永井野組松沢村 - (2020/04/13 (月) 22:36:23) の編集履歴(バックアップ)


陸奥国 大沼郡 永井野組 松沢(まつさは)
大日本地誌大系第33巻 32コマ目

この村に松澤寺あり因て村の名とす。

府城の西南に当り行程3里18町。
家数17軒、東西1町25間・南北50間。
西南は山に倚り東北は田圃(たんぼ)なり。

東7町22間余上戸原村の界に至る。その村まで14町50間余。
西1里24町計高田組軽井沢村の山に界ふ。
南3町18間荻窪村の界に至る。その村は巳(南南東)に当り7町30間。
北4町1間余赤留村の界に至る。その村は寅(東北東)に当り12町50間余。
また申(西南西)の方28町蛇食村の界に至る。その村まで1里7町。

小名

南松沢(みなみまつさは)

本村の南1町30間にあり。
家数14軒、東西2町・南北25間。
三方山(めぐ)り北に菜圃(さいほ)あり。

山川

前澤(まへさわ)

南松沢の南にあり。
村西山中の諸渓往々流を合し、巳(南南東)の方へ流るること2町30間荻窪村の界に入る。

神社

熊野宮

祭神 熊野宮?
鎮座 不明
村より申(西南西)の方1町30間にあり。
鳥居拝殿あり。八木沢村横山佐仲これを司る。

山神社

祭神 山神?
鎮座 不明
村より申(西南西)の方4町30間にあり。
鳥居あり。村民の持なり。

白山神社

祭神 白山神?
相殿 稲荷神
勧請 不明
村西1町40間余山麓にあり。
松澤寺司なり。

寺院

松澤寺

村西1町40間余山麓にあり。
山號を寶珠山といい、越後国村上耕雲寺の末山曹洞宗なり。
永亨中(1429年~1441年)肅芳という僧創建し、第2世大應・第3世三室が時までは松本圖書・同實輔(この人の名詳ならず。舊事雑考には伊豆實輔といい圖書が父とし、またこの父子当寺を建立せしという)父子100貫文の寺領を寄付し、第4世盛庵が時天正18年(1590年)伊達政宗3貫文の地を寄付せしという。

客殿

8間に6間、南向き。
本尊釈迦。

寶物

古文書 1通。その文如左。
松澤寺々領うち門前八人の手作
三貫文の所さきわけ山屋敷差
添付置候永代不可有相違者也
仍證文如件
 天正十八年庚寅四月十四日 政宗(印)
    松澤寺
松本圖書父子画像 1幅。
左は父圖書像なり『徳巖源裕居士』としるし、右は子實輔像なり『活正照殺居士』としるす。中央に当寺開基とあり。縁起に載る所と異なり。舊事雑考これに因れり。
寛文の頃(1661年~1673年)までは父子の塔当寺にありしよし縁起に見ゆ。今の石塔は法名年月等誤あり。後人の伝合せしものなり。

墳墓

五輪1基

村南2町にあり。
高3尺6寸『大永二年六月十七日』と彫付けあり(大永2年:1522年)。外に文字あれども剥落して読べからず。
塔村名主治右衛門が先祖佐藤筑後某という者の墓なりという。