会津五薬師

会津五薬師とは
大同元年(806)に磐梯山が大噴火となり、それが原因で会津地方では農作物に大きな被害があり、疫病も蔓延した為、徳一大師は安寧を願い5躯の薬師如来像を彫刻しそれぞれ祭ったと伝えられています。

通称 場所(GoogleMap) 風土記本文 備考
中央薬師 勝常寺 河沼郡笈川組勝常村 京都・奈良・大阪以外で唯一の国宝指定されている薬師如来像がある
東方薬師 慧日寺 耶麻郡川西組本寺村
南方薬師 野寺薬師堂 会津郡南青木組堤沢村
西方薬師 上宇内薬師堂 河沼郡青津組上宇内村 国指定重要文化財
北方薬師 北山漆薬師 耶麻郡小沼組漆村

弘法大師伝説

会津五薬師の建立に関して次のような伝説がある。
昔、会津の地は磐梯山に住む魔物によって常に霧が立ち込め、太陽が遮られて作物が育たなかった。そのため、人々に病気が蔓延し、長い間苦しめられた。このことを聞いた朝廷は弘法大師(空海)を会津に派遣した。弘法大師は法力により魔物を撃退し、さらに、人々の無病息災や心身堅固、五穀豊穣の祈願のため、5体の薬師如来像を造立することとした。しかし、完成直前に朝廷より帰京の命が下ったため、後事を徳一上人に依頼し、やむなく帰京した。その後、徳一は5つの堂を会津各地に建立し、完成した5つの薬師如来を安置したという。
空海が会津へ来たという確証はなく、また、徳一は南都六宗の一つ法相宗の僧で新興仏教の担い手であった空海とは対立する立場であった。そのため、上記の伝承はあくまでも伝説であって、事実ではないといえる。会津五薬師が現在真言宗寺院となっていることから、おそらくこれらの寺が真言宗に改宗した際に寺を空海と結びつけるためにこのような話を創造したのであろう。
最終更新:2025年06月13日 20:35
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