河沼郡笈川組勝常村

陸奥国 河沼郡 笈川組 勝常(しようじやう)
大日本地誌大系第33巻 104コマ目

この村もと勝常寺村と称し勝常寺の寺領料なりしが、天正中(1573年~1593年)没収せらるという。後寺の字を省けり。

府城の西北に当り行程2里7町。
家数47軒、東西1町45間・南北2町41間。
四方田圃(たんぼ)なり。

東3町10間上垂川村の界に至る。その村まで8町30間余。
西6町10間青津組履形村に界ひ鶴沼川を限りとす。
南49間五町目村の界に至る。その村まで2町30間余。
北6町45間堂畠村の界に至る。その村まで8町40間余。
また
丑寅(北東)の方3町24間中台村の界に至る。その村まで8町20間余。
巳午(南南東~南の間)の方3町30間中目村の界に至る。その村まで13町。
寅卯(東北東~東の間)の方26間下垂川村の界に至る。その村まで11町10間余。

山川

鶴沼川

村西6町余にあり。
五町目村の境内より来り、北に流るること6町堂畠村の界に入る。

水利

高久堰

五町目村の方より来り田地に(そそ)ぎ下流中台堂畠北田3村の養水となる。

寺院

勝常寺

村北薬師堂の西にあり。
喬樹多く物古たり。
真言宗山號を瑠璃光山という。
大同中(806年~810年)空海創建する所といい伝う。
大永5年(1525年)葦名盛舜寺料20貫文の地を寄付せり。
旧記文書も多かりしが、天将巳丑の乱(1589年)に強盗に掠められその後火災に罹り紛失せり。(ゆえ)に累世住職の僧侶詳ならず。今に薬師堂のみ古のままにて寮舎は後の修造なり。今なお十王堂の遺址及び知徳寺・願成寺という字残れり。
山城国仁和寺御室の末山なり。

鐘楼門

2間4尺に1間半。
鐘径2尺1寸。文和2年(1353年)に鑄る所の物小なる故天和中(1681年~1684年)改め鑄る。『天和元年権大僧都法印日宥』という彫付けあり。銘あれども煩しければ略す。

客殿

8間に6間、南向き。
本尊不動。
外に地蔵の像あり。

寶物

如意輪観音掛物 1幅。空海筆という。
古文書 3通。その文如左(※略)。

薬師堂

村北にあり。
10間半四面、南向き。
四方に庇縁あり。
瑠璃光山という額あり。
長7尺の薬師を安ず。空海作という。
大同中(806年~810年)空海この地に来り自ら薬師の像を刻み勝地を撰て五ヶ所に安ず。
東に本寺村(耶麻郡川西組)。
北に漆村(同郡小沼組)。
南に堤沢村(会津郡南青木組)。
西に宇内村(青津組)。
中央はこの佛なり。因て中央の佛という。
十二神将、各長3尺。
外に観音の像あり。長6尺7寸。
会津三十三所順禮の一なり。
勝常寺これを司る。

二王門

3間半に2間。
力士の像、各8尺1寸。

山王神社

薬師堂の東にあり。
鳥居あり。

宗像神社

二王門にゆく路の右小池の中にあり。

墳墓

古墓

薬師堂の北にあり。
勝常寺13世の僧覚成というが墓なりとぞ。
数圍の榎の下に古き石塔あり。文字はなし。