昔は荒井村とて1村なり。寛永20年(1643年)分けて両村とす。
故に山川田圃相交わりて界域分ち難し。
上荒井村は府城の西南に当り行程18里13町。
家数17軒、東西2町30間・南北1町40間。
山麓に住し東北は檜枝岐川に近し。
下荒井村は上荒井村の西10町にあり。
家数23軒、東西5町43間・南北26間。
山麓に住し北は檜枝岐川に近し。
東は上荒井村より30町
小川村に界ひ檜枝岐を限りとす。
西は下荒井村より11町9間
楢戸村の界に至る。その村は戌亥(北西)に当り18町。
南は上荒井村より1町・下荒井村より11町、共に
黒谷村の界に至る。その村は東に当り上荒井村より8町・下荒井村より18町。
北は上荒井村より2町10間
小川村の界に至る。下荒井村より10町小川村に界ひ檜枝岐川を限りとす。その村は上荒井村より北に当り6町、下荒井村より丑寅(北東)に当り12町。
下荒井村 端村
大擧
本村の西9町10間余にあり。
家数2軒、東西43間・南北20間。
東北は檜枝岐川に近く西南は山廻れり。
山川
勝蔵山
下荒井村の未申(南西)の方1町10件余にあり。
頂まで13町。
雑木茂れり。
檜枝岐川
上荒井村の東30間にあり。
黒谷村の境内より来り、戌亥(北西)の方に流るること23町余
楢戸村の界に入る。
水利
黒谷堰
神社
若宮八幡宮
上荒井村の未申(南西)の方2町20間余にあり。
鳥居あり。黒谷村木津式部が司なり。
御霊神社
下荒井村の西1町10間余にあり。
鳥居あり。木津式部が司なり。
山神社
端村大擧にあり。
鳥居あり。村民の持なり。
寺院
興厳寺
下荒井の未申(南西)の方2町余にあり。
曹洞宗勝蔵山と號す。開基の年代詳ならず。
何の頃にか兵火に燒亡す。
正保2年(1645年)麟怒という僧、本郡南青木組
天寧寺14世嶽應を請て中興とし、即松山となる。
本尊釈迦客殿に安ず。
文殊堂
境内にあり。
草創の年代詳ならず。
もと村より辰巳(南東)の方2町檜枝岐川の岸にあり。
数度の洪水にその地闕いて、寛政3年(1791年)ここに移す。
村民の持なり。
古蹟
館跡2
一は勝蔵山にあり。
2町四方計、土居の形僅に存す。
一は上荒井村の西3町余にあり。
東西25間・南北30間。
共に何人の住せしことを知らず。
最終更新:2020年04月01日 22:57