会津郡黒谷組楢戸村

陸奥国 会津郡 黒谷組 楢戸(ならと)
大日本地誌大系第31巻 141コマ目

府城の西南に当り行程19里。
家数30軒、東西4町・南北5町10間。東北は檜枝岐川に近く西南は山廻れり。

東5町小川村の界に至る。その村まで20町。
西1里30町石伏村の界に至る。その村まで1里18町。
南4町10間上・下荒井村両村の山界に至る。その村は共に辰巳(南東)に当り下荒井村まで18町、上荒井村まで28町。
北9町黒沢村の界に至る。その村まで12町。
また
戌亥(北西)の方24町只見村の界に至る。その村まで1里。

山川

朝日山

村南6里にあり。

檜枝岐川

村の丑(北北東)の方30間にあり。
上・下荒井村両村の境内より来り、戌亥(北西)の方に流るること1里4町只見川に入る。

楢戸(ならと)

村西4町20間にあり。
源は朝日山より出て、北に流るること6里18町檜枝岐川に入る。
広6間。「いはな」・鰥を産す。

清水

村より未申(南西)の方20間にあり。
周12間。すわの清水という。

神社

稲荷神社

祭神 稲荷神?
相殿 幸神
鎮座 不明
村西8町40間余にあり。
鳥居あり。黒谷村木津式部が司なり。

日光神社

祭神 二荒山の神
鎮座 不明
村西1町10間余にあり。
何の頃にか二荒山の神を祭れり。
鳥居拝殿あり。修験龍蔵院司なり。

寺院

観音堂

村中にあり。
草創の年代詳ならず。
村民の持なり。

墳墓

石塔

村の辰巳(南東)の方30間にあり。
高7尺5寸・幅1尺4寸
『大善院孤宝浄圓居士天正十年□七月十六日』と彫付あり。
外に文字あれども剥落して読べからず。
横山晴信という者の墓なりと云う。
後人の建てしものと見ゆ。

古墳

館跡

村より丑(北北東)の方にあり。
東西39間・南北45間。
横山晴信住せりという。

旧家

善八

この村の名主にして山内氏勝が家臣横山帯刀某という者の後葉なりという。
天正18年(1590年)氏勝松坂峠にて伊達の伏兵に逢い味方多く打死せし時、帯刀・新國右京・瀧澤河内と共に氏勝を助け辛うじて横田の城に帰りしという。


外部リンク等


村名について

明治22年(1889年)4月1日町村制の施行により、黒谷村、黒沢村、小川村、荒島村、熊倉村、亀岡村、長浜村、福井村、楢戸村の区域をもって朝日村が発足。
昭和34年(1959年)8月1日、只見村に編入。同日朝日村廃止。只見村は即日町制施行して只見町となる

只見町神社一覧

(「13 只見町史 3巻 民俗編」[PDF](P.624)より本村の所のみ)
場所 神社名 祭神 祭日 備考
廻戸 二荒山神社 豊城入彦命 八月一七日 元修験龍蔵院が司なり
椿 稲荷神社 稲蔵魂命 八月一〇日 昔、椿村の鎮守、村西八町四十間余にあり
堂本平 二荒山神社 豊城入彦命 八月一七日 昭和三年楢戸二荒山神社より分神勧請
廻戸の二荒山神社しか法人登録をしていない
最終更新:2025年09月09日 19:21