会津郡河島組糸沢村

陸奥国 会津郡 河島組 糸沢(いとさわ)
大日本地誌大系第31巻 107コマ目

府城の南に当り行程12里28町。
家数53軒、東西1町・南北4町50間。
両山の間に住し西は荒貝川に臨む。

下野街道の駅所にて村中に官より令せらるる掟条目の制札あり。
河島村駅より1里ここに継ぎ、ここより2里22町下野国塩屋郡本組横川村駅に継ぐ。
村北に一里塚あり。

東は下野国那須郡に隣り宇賀嶽の頂を限りとす。
西は高野組針生村に界ひ七森嶽の峯と限りとす。
南2里8町横川村に界ひ山王峠の頂を限りとす。その村まで2里22町。
北27町13間関本村の界に至る。その村まで31町30間。
また亥(北北西)の方26町28間藤生村の界に至る。その村まで1里。
未申(南西)の方26町滝原村の界に至る。その村まで1里。

旧端村今和泉の北に馬場原(ばははら)と云う端村あり。今はなし。

端村

今和泉(いまいつみ)

本村の北17町にあり。
家数14軒、東西30間・南北50間。
西は荒貝川に()ひ三方田圃(たんぼ)なり。

古内(ふるうち)

今和泉の西1町余にあり。
家数21軒、東西50間・南北2町。
東は田圃(たんぼ)にて西は山に倚る。

羽塩(はねしほ)

本村の南13町20間余にあり。
家数28軒、東西12間・南北3町20間。
西は荒貝川に臨み三方に田圃(たんぼ)あり。

宇治山(うちやま)

羽塩の南23町余にあり。
家数4軒、東西10間・南北40間。
両山の間に住し東は山王沢に()ふ。

山川

宇賀嶽(うかたけ)

俗に男鹿嶽(おかたけ)と云う。
村東数峯を隔て4里計にあり。
衆山に秀で雑樹陰欝たり。
東は那須郡に属し峯を界とす。
南は横川村に界ひ、北は田島組栗生沢村に属す。

太郎嶽

村東25町にあり。
頂まで20町。
東は河島村に属し、北は関本村に属す。

七森嶽(ななつもりたけ)

一名荒倉山(あらくらやま)俗に七嶽(ななつがたけ)と云う。
村より戌(西北西)の方2里計にあり。
七峯相連なる故に名く。
西は針生村に属し峯を界とす(針生村の条下に詳なり)。

貝鳴山(かひなりやま)

村南1里5町にあり。
頂まで20町計。
山形孤立せるが如し。
相伝う。慶長5年(1600年)上杉景勝東照宮を(ふせ)ぎ奉んためこの峯に遠見を置き、敵鶴淵の隘口(あいこう)*1(上三依村にあり)を越来らば相圖(あいず)の貝を吹て糸沢の陣に報すべしと結構せしとて、その後貝吹峯(かひふきみね)とも称せりとぞ。

山王峠(さんわうとおげ)

村西2里余、下野街道にあり。
頂に山王神社あり(ゆえ)に名くと云う。
陸奥・下野の界なり。
登ること8町余、道盤曲(ばんきょく)して左右千尋の谷に臨み、或は(いわ)()り、或いは(かけはし)を架して通路とす。
北麓に1里塚あり。

荒貝川

村西にあり。
滝原村の境内より来り、山王沢に合し東に流れ北に転じ、関本村の界に入る。
境内を経ること1里18町余。

山王沢

源を山王峠より発し、北に流るること2里余、荒貝川に合す。
所々に土橋を架して往来す。

羽塩滝

端村羽塩の北2町余、荒貝川にあり。
(わず)(か)に7、8尺、広30間計、緩流(かんりゅう)して下る。
水面平坦にして流るることを覚えざるが如し。
(すこぶ)奇観(きかん)とす。

原野

萩野原

村南30間余にあり。
東西1町・南北30町余。
下野街道にて、原中に一里塚あり。

神社

三島神社

祭神 三島神?
鎮座 不明
端村羽塩の西2町計にあり。
鳥居拝殿あり。田島村室井出雲が司なり。

熊野宮

祭神 熊野宮?
相殿 稲荷神
   三島神
鎮座 不明
村北2町山麓にあり。
鳥居あり。
喬木(きょうぼく)繁陰して神さびたり。
龍福寺これを司る。

示現太郎神社

祭神 大己貴命
鎮座 不明
村南2町山腰にあり。
鳥居あり。龍福寺これを司る。

末社 稲荷神社

祭神 稲荷神?
相殿 山神
本社の南にあり。

三島神社

祭神 三島神?
鎮座 不明
羽塩の東北2町計にあり。
鳥居拝殿あり。修験正覚院これを司る。

山王神社

祭神 山王権現?
鎮座 不明
山王峠の頂上にあり。
鳥居あり。塩谷郡本組三依村阿久津摂津が司なり。

山神社

祭神 山神?
鎮座 不明
羽塩の西南1里計にあり。
村民の持なり。

三島神社

祭神 三島神?
鎮座 不明
端村古内の西の山腰にあり。
修験和光院司る。

日光神社

祭神 日光神?
創設 不明
端村今和泉の北4町余にあり。
鳥居あり。和光院これを司る。

寺院

龍福寺

村中にあり。
真言宗熊野山と號す。山城国醍醐山光臺院の末山なり。
縁起に、永禄の頃(1558年~1570年)長沼盛勝と云う者この寺を造立して祇願所とし、祏請󠄁と云う僧を開山とせしと云う。然れども『宣誘院殿鐵性風山大信士長禄三己卯年六月初二日』と記し、裏に『田島城主長沼大和守平政明六四歳卒龍福寺地内に葬る』と記せし位牌あれば、長禄の頃(1457年~1460年)よりこの寺ありしにや詳ならず。
本尊弥陀客殿に安ず。
また鐘一口あり。径2尺『延享元年甲子五月』と彫付あり。

観音堂

境内にあり。

寶物

古文書 2通。
その文如左(※略)
曼荼羅 1幅。
開山所持のものなりという。

墳墓

五輪

村北2町余山麓にあり。
長沼盛勝が墓といい伝う。
この所もと龍福寺の境内なりしとて多く古墳あり。
上に石塔を建つ、皆文字を彫ず。

古蹟

陣屋

村南1里余下野街道の東、山腰に出戸陣場・入陣場とて丘の如き所あり。
如何なる(ゆえ)と云うこと詳ならず。
塔寺八幡宮長帳に明應4年(1495年)11月19日、松本備前伊藤殿不思議のことありて宇都宮殿を頼み落行くところに、南山殿糸沢にて追かけ討死にて神通33人とあり。この所のことなるも知るべからず。

館跡

端村・古内の北にあり。
天正の頃(1573年~1593年)長沼小次郎某と云う者の住せし所と云う。
菜圃(さいほ)となりき。