会津郡古町組大新田村

陸奥国 会津郡 古町組 大新田(おほにた)
大日本地誌大系第31巻 123コマ目

府城の西南に当り行程18里13町。
家数25軒、東西50間・南北1町10間、東は山に倚り西は檜枝岐川に近く、南北田圃(たんぼ)なり。

東35町中小屋村の山に界ふ。
西20間大橋村に界ひ檜枝岐川を限りとす。その村は戌亥(北西)に当り9町。
南2町23間水根沢村の界に至る。その村まで5町20間余。
北7町山口村の界に至る。その村まで12町30間。

山川

天狗(てんぐ)

村北6町40間にあり。
高6丈計・横30丈余の(いわ)まへにさし覆て形奇なり。
下に天狗堂あり(ゆえ)に称す。
この巌に小石はみ漸々に長じて往々巌をわりて落るものあり。土人天狗の磔石と云う。

檜枝岐川

村西20間にあり。
木伏村の境内より来り、北に流るること15町20間、山口村の界に入る。

神社

天神社

祭神 天神?
相殿 日光神
鎮座 不明
村東2町にあり。
鳥居あり。界村渡部信濃が司なり。

愛宕神社

祭神 愛宕神?
鎮座 不明
村東3町にあり。
鳥居あり。村民の持なり。

幸神社

祭神 幸神?
鎮座 不明
村北6町にあり。
鳥居あり。村民の持なり。

寺院

天狗堂

村北6町40間天狗岩の下にあり。
草創の年代詳ならず。
村民の持なり。

墳墓

石塔

村より辰巳(南東)の方40間にあり。
高8尺、『源酒井周防守義長天正四年子三月十七日』と彫付あり。
後人の建てしものと見ゆ。
※天正四年(1576年・丙子)

参照


外部リンク等


天狗岩

Mapionより「天狗岩」

※ゼンリン地図より天狗神社の位置

Google地図上での登録が無くなっていた事に驚きました。
確かに博士山峠の天狗岩共々、南会津地方の天狗岩にはあまりスポットが当てられていない印象があります。

昔、男天狗と女天狗がけんかして伊南川をはさんでお互いに石のつぶてを投げつけたというつぶて岩があり、祭礼の日3年つづけてお詣りをしこのつぶて石を拾って供えると願いごとがかなえられると伝えている。

『南郷村地名由来調査報告書』には少し違うニュアンスの説明がありました。
天狗の石合戦という伝説のある場所である。
大新田松村の岩屋にすむ女天狗と大橋の滝沢の岩屋にすむ男の天狗は伊南川をはさんではげしい石なげの喧嘩をしていた。男の天狗は硬い石(中はオパール)、女の天狗はやわらかい丸い石(軽石)を投げあった。村人はおそれて天狗たちを祀り旧三月二十五日に天狗様祭りを農作業を休んで行った。

『奥会津南郷の民俗』には天狗神社の説明がありました。
大新田と山口の境、松原の城口山に天狗を祀り(天狗の面)毎年旧三月二四日を祭日としている。大新田部落の人たちはもちろん、他村からの参拝客もあり、赤飯をたいてこの山に登り天狗神社に参拝して一日仕事を休む。太平洋戦争中は、天狗にあやかり、出征兵士の武運長久を祈る人が平日も多かった。
昭和二〇年ごろまではこの辺に家もなく、杉の大木が県道まで、うっそうと繁っていたが、今はこの山の下一帯が軒をつらねる住宅街となり、お祭りの主体も大新田部落から山口字堀田の人たちに変わり、参拝客もあるので赤飯をたき、酒のご馳走をする。
天狗祭りは今でも子どもたちに人気があり、小・中学生が多く登り、男女青年も三年続けてこの日に参拝し、天狗のつぶて(丸いいぼのあるオパール石を内蔵する)を捧げると幸福になるという伝説を信じてか、天狗のつぶてを拾う姿がみられ、神社の前には小さな丸い石がつまれている。
神社の中には「高倉法皇御使用の硯を譲り受けたので、大内氷玉の里、高倉法皇の宮へ納めてほしい宝暦元年五月」(宝暦元年:1755年)と書いた紙に高倉宮御使用と伝える硯と願文が添えて奉納されている。今でも天狗の飛翔イメージが素朴に信仰されている。

また、『南郷村史 第2巻』の山口村にはこのような記載があります。
一 此岩山はいらへが崎と申候 又天狗岩共云
他に『天狗岩 但いらいヶ崎』と記載されている所もあります。

いらへとは?
「こたえ、返事」という意味。
こだまするという意味か?と補足があります。
(『南郷村の文化財 4』より山口村の項参照)
最終更新:2025年09月03日 19:18
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