会津郡古町組中小屋村

陸奥国 会津郡 古町組 中小屋(なかこや)
大日本地誌大系第31巻 124コマ目

この村、昔は山口村の端村なり。寛永中(1624年~1645年)別村となりし。

府城の西南に当り行程17里27町。
家数14軒、東西20間・南北2町、山間に住し南に戸山川あり。

東10町28間入小屋村の界に至る。その村まで19町。
西8町山口村の界に至る。その村まで9町。
南10町大新田村の山に界ふ。
北3里計大沼郡野尻組大芦村の山に界ふ。

山川

戸山川

村南にあり。
入小屋村の境内より来り、戌亥(北西)の方に流るること18町、山口村の界に入る。
この川に瀑布あり。高2間。白糸を乱すが如し。波滝(なみたき)と云う。

関梁

橋2

一は村の辰巳(南東)の方5町20間にあり。長7間半・幅5尺。
一は村の戌亥(北西)の方6町30間にあり。長8間半・幅5尺。
共に府下の通路、戸山川に架す。

神社

八幡宮

祭神 八幡神?
創設 不明
村東1町40間にあり。
鳥居あり。界村渡部信濃が司なり。

古蹟

椿岪(つばきのへつり)

村南8町にあり。
昔、椿の古木あり。
高倉宮ここを過ぎ給ふとき詠じ給ひしとて
みちのくの みなみのやまの たまつばき とふひとあらば いなとこたへよ
と土人の口碑(こうひ)に伝う。
その椿今はなし。


参照


外部リンク等


中小屋

(村史より)
沢口村(山口)の中にある端村で入小屋に対して中間にあるので中小屋と呼んでいた。小屋とは木地師達のむらをさす言葉である。舘岩村にある古書によれば、天文五年(1536)に木地職二戸住んでいたとある。昔は山口村の端村であったが、寛永年中別村となったが明治十年に山口村に合併した。現在の大桃姓の人達は、伊南村大桃からの移住で寺も伊南村小立岩の光明寺である。
昔は入小屋と中小屋は長江庄であったという。
 文明年中(1470年代)宗祇が此所を通り給う歌に
  「陸奥之長江ノ里の玉椿
     問う人アラバ伊南ト答えよ」
玉椿は中小屋にあり、この歌は「新撰集」にあるという。寛延四年(1751)、「枕無家宝記(十)」山内豊俊の覚書にあり。
高倉宮の詠んだ歌と似てなくもないが…

八幡神社


国立国会図書館デジタルコレクションで『目で見る南郷村史』を参照すると祭神は「大嶋爲命」と振られているが。

縁起 寛政十一年(1799)七月大鶽[奈+鳥]命を奉斎して若宮八幡宮と改正したという。明治七年(1874)十一月神社書上帳によると、祭神は誉田別命・気長足姫命となっている。現在の宮は明治十九年七月同境内にあった山の神・稲荷神社を合祀して鎮守としている。(村史)
であれば、祭神は現在の漢字だと「大鷦鷯命(おおさざきのみこと)」となるか?

八幡神社の横には沢があり、宮の隣の沢から「ミヤノサー」と呼ばれていたとの事。また、この沢はづたいに山口に抜ける小径もあったようです。
(南郷村地名由来調査報告書より)

最終更新:2025年09月02日 19:57
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