府城の西南に当り行程18里23町余。
家数48軒、東西2町・南北4町6間。
東は山に倚り西は檜枝岐川に近く南北田圃なり。
東1里3町
入小屋村の山に界ふ。
西5町
大橋村に界ひ檜枝岐川を限りとす。
南4町2間
古町村の山界に至る。その村まで18町20間。
北2町40間
水根沢村の界に至る。その村まで2町40間。
また
未申(南西)の方1里の方5町
青柳村の界に至る。その村まで9町。
山川
唐倉山
※国立公文書館「新編会津風土記43」より唐倉山図
村の辰巳(南東)の方31町余にあり、登ること13町計。
さまでの高山ならざれども、勢最嶮しく峯を伝ひてわづかに1路を通ず。
その間
許多の奇岩あり。
佳観とす。
麓より登ること8町余に
鑑岩と云あり。その左に
峙つを
裸岩という。
鑑岩の上1町30間余に
石柱と称する岩あり。方4尺計にて長4間より5,6間計の石30余枚あり。屋材を架するに似たり、故に名けり。昔は数も多かりしが何の頃にか地震のためその半を崩せりと云う。
ここより上に
烏帽子、
屏風、
手掛、
衣掛等の怪岩往々に列峙す。
衣掛岩より1町余にして頂上に至る。明神岩あり。昔唐倉明神鎮座ありし所ゆえこの名遺れり。
冬山満山雪みつれどもこの
巓のみ風烈しく積もることなし。土人は社跡の霊なりとて崇敬す。
また明神岩より左右の下りに数十の怪石1町計の間に布置し累々として相
仍れり。南を日光岩と云い北を月光岩と称す。
ここより北に望めば飯豊・磐梯島の高山遠空に浮かび、南に
顧れば燧嶽・駒嶽近く衆峯に秀で眺望広し。
この山東北の方
入小屋村に属す。
檜枝岐川
村西5町にあり。
古町村の境内より来り、北に流るること15町40間余、
大新田村の界に入る。
八窪沢
村より巳午(南南東~南の間)の方6町にあり。
源は境内の山中より出て、西に流るること1里18町檜枝岐川に入る。
広2間。
原野
秣場
村西2町にあり。
東西1町30間余・南北2町10間余。
関梁
橋
村南6町、府下の通路八窪沢に架す。
長8間、丸木橋なり。
神社
八龍神社
村中にあり。
石鳥居あり。界村渡部信濃が司なり。
天神社
村の巳午(南南東~南の間)の方20間にあり。
石鳥居あり。修験蓮華院司なり。
愛宕神社
村より卯辰(東~東南東の間)の方19町にあり。
村民の持なり。
寺院
長専寺
村西にあり。
浄土宗大寶山と號す。
五之町高巖寺の末山なり。
開基詳ならず。旧
太子守宗なり。
寛永17年(1640年)善札という僧改て古町村善導寺の末山浄土宗となり、後また高巖寺に隷す。
本尊弥陀客殿に安ず。
薬師堂
村中にあり。
草創の年代詳ならず。
村民の持なり。
古蹟
館跡
村中にあり。
東西23間・南北33間。土居堀の形存す。
天正中(1573年~1593年)菊池紀伊守某と云う者住せしと云う。
最終更新:2024年01月17日 23:07