康暦元年(1379年)葦名直盛鎌倉より下向の時、多くの鍛冶を伴い来りここに居しむ。因て名けしという。
府城の西に当り行程30町。
家数10軒、東西35間・南北52間。
西は鶴沼川に近く三方田圃なり。
東15間・南48間、共に
深川村の界に至る。その村は辰巳(南東)に当り4町10間。
西4町30間本郡中荒井組
蟹川村の界に至る。その村は戌(西北西)に当り14町50間。
北2町32間
西柳原村の界に至る。その村は東に当り8町10間。
この村の農民治右衛門という者の家に、金屋神と唱え梵字にて記せる書あり。
巻末に『江州之宮導上人廻國時示之 傳燈大阿闍梨法印重盛判授者雪下正家傳之 慶長二年神无月吉日』とあり。
※慶長2年=1597年、神无月=神無月(10月)
山川
鶴沼川
村西1町20間余にあり。
幕内村の境内より来り北に流ること5町計
蟹川村の界に入る。
水利
小見堰
鍛治屋敷堰
最終更新:2020年03月06日 16:12