会津郡高久組西柳原村

陸奥国 会津郡 高久組 西柳原村
大日本地誌大系第31巻 31コマ目

府城の西に当り行程20町余。
家数40軒、東西2町40間・南北2町。
また西40間に1区あり、西新田という(旧板屋という)。
家数5軒、東西49間・南北36間。
共に四方田圃(たんぼ)なり。

東20間・北8町50間、共に府下西黒川小黒川分の地に界ふ。
西8町鍛冶屋敷村の界に至る。その村まで8町10間。
南11町本郡南青木組飯寺村の界に至る。その村まで15町10間余。
また未(南南西)の方5町幕内村の界に至る。その村まで5町余。
申(西南西)の方4町10間深川村の界に至る。その村まで5町10間余。
戌(西北西)の方10町29間余小見村の界に至る。その村まで12町40間余。
亥(北北西)の方7町西城戸村の界に至る。その村まで8町40間余。

もと片原町とて寛永13年(1636年)に開きし端村あり。元文2年(1737年)幕内村の端村片原村と共に小黒川分に属す(舊事雑考寛永13年の記に柳原村に片平町を置し(よし)見ゆ。然らば初めは片平町と称せしにや諸の旧記にその事見えず。如くは彼書の誤写なるも知るべからず)。

山川

応湖川

村東20間にあり。
幕内村の境内より来り、戌亥(北西)の方に流るること10町20間、西城戸村の界に入る。

水利

住吉堰

府下東黒川材木町分より来り、田地に灌ぎ西城戸村の方に注ぎ西城戸堰という。

神社

天満宮

祭神 天満宮?
相殿 伊勢宮 2座
   稲荷神
   熊野宮
   若宮八幡
   金鑄神
創立 不明
村の未申(南西)の方40間余にあり。
鳥居幣殿拝殿あり。祭禮6月24日・25日。
郭内諏訪神社の神職河原幸之丞これを司る。

寺院

柳原寺

村中にあり。
天龍山と號す。
慶長2年(1597年)密宗の僧草創し徳王寺と號す。
寛永7年(1630年)喜可という僧住してより浄土宗となり寺號を改しとぞ。
五之町高巖寺の末山なり。
もと村の南にあり慶安4年(1651年)今の地に移せり。
本尊弥陀客殿に安ず。

古蹟

帽子沼

村の未申(南西)の方1町にあり。
東西6間半・南北1町21間。
舊事雑考に、皆鶴姫が帽子を投げし所(ゆえ)名くとあり(河沼郡代田組藤倉村の条下を併見るべし)。
土人の伝える処は、皆鶴義経の跡を慕い帽子丸とて2歳になれる義経の子を抱きここに来りしに、敵の為にこの沼に投られ溺死せり。因て名けりという。

狐塚

村より丑寅(北東)の方1町にあり。
昔助次郎狐とてこの邊に住て村民の吉凶を告示し(いささ)か人の害をなさす。死してここに埋めしという。



最終更新:2022年03月09日 14:21