会津郡南青木組天寧村

陸奥国 会津郡 南青木組 天寧(てんねい)
大日本地誌大系第31巻 58コマ目

この村旧天寧寺村という。寛文中(1661年~1673年)寺の字を省けり。

府城の東に当り行程21町。
家数49軒、東西1町10間・南北1町40間。
東北は山に倚り西南は黒川に()ふ。

東18町30間原組赤井村の山に界ふ。
西は村際にて小田村に界ふ。その村まで11町20間。
辰巳(南東)の方1町2間院内村の界に至る。その村まで4町20間。
北3町50間慶山村の界に至る。その村まで7町30間。

水利

黒川堰(くろかはせき)

院内村の方より来り、田地の養水となり、府下東黒川千石町分の地に注ぐ。

神社

愛宕神社

祭神 珂遇突神
鎮座 寛永20年(1643年)~
村東山上にあり。
神保隠岐利長という者出羽国村山郡木沢村に勧請して鎮護神とせしが、寛永20年(1643年)肥後守正之に従い会津に来たる時神像を奉してここに移し祭れりという。
鳥居拝殿あり。天寧寺町修験栄法院これを司る。

熊野宮

祭神 熊野宮?
鎮座 不明
村中にあり。
鳥居あり。天寧寺これを司る。

寺院

天寧寺

村東山麓にあり。
天寧寺

正法寺

村北2町余山麓にあり。
松巖山と號す。天寧寺の末寺曹洞宗なり。
慶長3年(1598年)上杉景勝越後より会津に移りし時、天倫寺の住僧景勝を慕い会津に来り、一宇を営て住せり。
同5年(1600年)景勝羽州米沢に移り、住持また米沢に赴けり。
同7年(1602年)喜導という僧蒲生秀行に請て正法寺と改めしという。
本尊弥陀客殿に安ず。

地蔵堂

村中にあり。
建立の年代を知らず。
天寧寺町修験栄法院これを司る。

墳墓

葦名左近将監盛信墓

村東愛宕神社の未申(南西)の方にあり。
旧は天寧寺の境内なりしという。
盛信は佐原義連より9代の孫にて修理大夫盛政の二男なり。盛政の嫡男三郎衛門尉盛久の養子となり兄の家督を継ぎ、寶徳3年(1451年)3月18日44歳にて卒す。
この墓昔より天寧寺の守れる所なり。
文化2年(1805年)寺僧に命じて洒掃(さいそう)怠ること無らしむ。