会津郡楢原組中倉村

陸奥国 会津郡 楢原組 中倉(なかくら)
大日本地誌大系第31巻 100コマ目

府城の南に当り行程6里。
家数14軒、東西35間・南北1町30間。
山中に住す。四方に田圃(たんぼ)あり。

東3間・南3町、共に桜山村の界に至る。その村は南に当り4町。
西は数峯連なり桑取火村の山に続き界域を分ちがたし。
北14町30間大内村の界に至る。その村まで1里4町。

村中に下野街道あり。

神社

赤城神社

祭神 赤城神?
鎮座 不明
村西30間にあり。
鳥居あり。水抜村星河内が司なり。


八幡のケヤキの案内板より引用
 このケヤキには、次のような故事がある。「天喜三年(1055年)人皇70代後冷泉天皇の御代、八幡太郎義家が、陸奥の豪族安倍貞任を討伐の折、険路で難渋して、中倉村の司(つかさ)二宮太郎兵衛宅に休憩した。二宮氏は手厚く歓待をして、大沼郡尾岐村に至る間道を教えたため、賊軍不意を討たれて敗北した。八幡太郎義家は大いに喜び、謝礼のしるしに庭先にケヤキを植えた。」と伝えられる。
会津郡南青木組御山村の蝦夷塚に条もありますが、源義家が会津の地で蝦夷と戦ったとの記録は無いようです。