会津郡南青木組下雨屋村

陸奥国 会津郡 南青木組 下雨屋(しもあまや)
大日本地誌大系第31巻 75コマ目

この村、旧天屋に作る。寛文中(1661年~1673年)今の文字とす。
昔村民霖雨(りんう)*1を患いしに、僧空海ここに来て祈りければ雨晴しという。

府城の南に当り行程2里6町。
家数17軒、東西41間・南北2町31間。
東は山に倚り、三方田圃(たんぼ)なり。

東3町石村の山に界ふ。
西4町大沼郡本組大石村に界ふ。
南1町25間宮内村の界に至る。その村は巳(南南東)に当り5町30間。
北2町52間石村の界に至る。その村まで6町。

村中に宇都宮街道あり。

原野

秣場

村西にあり。
東西2町30間・南北7町30間。

水利

門田堰

宮内村の方より来り、田地の養水となり石村の方に注ぐ。

寺院

薬師堂

村の戌亥(北西)の方2町にあり。
3間四面、丑寅(北東)に向う。
縁起を按ずるに、何人の草創にか詳ならず(寛文中(1661年~1673年)撰える風土記には、空海建とあり)。
もと今の所より下なる岩窟の中に堂を構て安置せり。
寛文中(1661年~1673年)何者かこの像を盗取り伊予国まで逃げ去りしに、祟ありければ同9年(1669年)これを遷せり。因て民の渇仰もまた深し。
享保14年(1729年)今の地に遷す。
堂後の巨岩に洞あり。空海(せい)*2を祈てここに護摩を修せしという。
この地は鶴沼川の流れに臨て高く(そばだ)ち、松樹その上に蟠屈(ばんくつ)し、西は岩崎(大沼郡橋爪組本郷村)の巉岩(ざんがん)に対し、西北に平野開け長流練を曳き、白沙清潔にして勝景の地なり。

目洗水

堂後に僅の岩穴ありて水たまれり。
常に増減をなし、目を洗えば明ならしむという。
これも空海が穿ちし所なりとぞ。

別当 薬王寺

村中にあり。
真言中磐屋山と號す。開基を詳にせず。
天正巳丑の兵燹(へいせん)に罹り、寺門(ことごと)く燒亡せり。
後に何の頃にか宥存という僧再興して、府下大和町金剛寺に隷す。
本尊観音客殿に安ず。



余談。
薬師堂は平成18年に建て直されたとの事。
毎年9月14日に四つ児参りという祭礼があるそうです。