大沼郡高田組屋敷村

陸奥国 大沼郡 高田組 屋敷(やしき)
大日本地誌大系第33巻 18コマ目

この村は本組の地に続かず永井野組諸村の中に住す。昔葦名の家臣松本氏世々住し彼が郎等どもの居りし所(ゆえ)屋敷村と名くという。

府城の西南に当り行程3里6町。
家数7軒、東西1町34間・南北55間。
また2町30間余申酉(西南西~西の間)の方に1区あり。
家数3軒、東西1町54間・南北35間。
新屋敷という。
共に四方田圃(たんぼ)なり。

東1町永井野組永井野村の界に至る。その村まで6町20間余。
西3町5間永井野組杉内村に隣りその村際を界とす。
南10間冑組松岸村の界に至る。その村まで6町。
北39間永井野組上戸原村の界に至る。その村は丑(北北東)に当り6町。

端村

天神堂(てんしんたう)

本村より3町余南にあり。
家数10軒、東西2町52間・南北42間。
四方田圃(たんぼ)なり。

山川

赤沢川

永井野組荻窪村の境内より来り、東に流れ北に転じまた東に折れ村中を過ぎ、凡10町余流れ上戸原村の界に入る。

寺院

正法寺

村より30間余未申(南西)の方にあり。
音照山と號す。
縁起に拠るに、應暦2年己未慶照という僧の開基なりとぞ。
按ずるに、應暦の年号なければ文字誤あるべし。舊事雑考には康暦元年の事とす(康暦元年:1379年)。
元和3年(1617年)玄照という密侶再興し、明暦3年(1657年)照賢という僧住せしより天台宗冑組仁王村仁王寺の門徒となる。
旧はここより東北の方にありしという。何の頃移せしにか詳ならず。
本尊観音客殿に安ず。

古蹟

船岡館跡

村より1町余申(西南西)の方にあり。
四面に土居隍の形存し1町四方計あり。
外郭の迹北に廻れり。これは杉内村属す。
この館は松本氏代々の居所なり。
その先は信州の松本氏にて、葦名家の臣たりしより、禮遇他に異に四天宿老の第一と称せり。
塔寺村八幡宮長帳に、天将(古文書往々天正を天将に作る者あり)3年(1575年)松本図所助安積郡にて討死せし由見ゆ。
その子太郎同12年(1584年)16歳にて(いささか)恨の仔細ありて葦名家を乱さんと企て、その頃男色の知音なる河沼郡笈川の地頭栗村下総を語い、葦名盛隆城東羽黒山にて舞楽の遊覧ありし隙を伺い松本と栗村と800余人を引卒し黒川の館へ討入りしが、事成らずしてそれに討るという。