祭神 | 鬼渡神? |
相殿 | 伊勢宮 |
稲荷神 | |
熊野宮 | |
鎮座 | 不明 |
この(永井野)集落は、現在地から300mほど南方にあって、大原村といわれていたが、宮川筋の幾度かの洪水によって次第に北の境新田の方まで延びて、蛇行形の街村に変わった。天文年間(1532~55)の頃、長尾村と称したが、これは伊佐須美神社遷宮の際、使いの大蛇が草を薙倒した後が道になり、街村になったともいわれ、それが長尾村の起こりとの伝承もある。ともあれ、長尾の名称は天文~永禄の文書にも見えており、上町の琴平神社(金毘羅大権現)境内には嘗 て長尾神社があった。その神官が長尾氏で、喜多方の慶徳稲荷神社穂積氏から長尾家へ養子となった人である。境内にその長尾道貫ほか長尾正竹・長尾道重の三彰徳碑 が並んで建っている。この琴平神社は、海神竜王(後に大物主神)を祀っており、明治以降、神仏習合の関係で金刀比羅宮を金比羅大権現と称したときの献額 が今も堂内にニ枚掲げてある。社前には、文久二年(1862)献納の狛犬一対があり、例大祭は九月十一日に行われる。
(中略)
加藤嘉明が会津の領主となった寛永四年(1627)に、長尾村は永井野村に改められた。
富岡に二渡神社、八木沢に御庭渡神社、箕作・袖山・永井野に鬼渡神社があり、永井野の熊野神社と根岸の手児神社、それに橋爪の熊野神社の相殿にも鬼渡が祀られている。また、無量の鬼荒神社に延宝3年(1675)の札があり、これに「奉勧請日光大明神安鎮座 熊野大権現、鬼渡・山神二座」とあるので、この神社にも合祀されている。
さて、この神社の社名は、鬼渡・二渡・御庭渡と一定していないが、県内には、根渡・三渡・見渡・三輪渡・二羽渡等様々な字をあてた神社がある。会津は「鬼渡」と書く神社が多いようである。これらは、ひと括りにできる神社と思われるが、祭神は必ずしも一致していないので、これらの神社の神の性格は不明である。
「町史」第7巻に掲載された「各地区の神社」によると、永井野と寺入の鬼渡神社の祭神は阿須波命と波比伎(岐)命、箕作の鬼渡神社は「五十猛命」、富岡の二渡神社は「舟玉命」とある。但し二渡社の祭神については、『新風土記』に「十八よ魂命」(*1)とある。
福島県中通りでは、通称を「ニワトリごんげん(権現)」といい、百日咳など流行性の風邪の時に、ニワトリ(鶏)の絵馬や卵を奉納して願う風習があった。
富岡の二渡神社については、「風俗古例帳」に一 鎮守二渡権現 祭礼毎歳九月九日、高田町社家来テ祭之、村中ヘ御檄賦る、人別ニ初尾銭壱文ツゝ出之とある。『新風土記』によると二渡社の相殿13座(伊勢宮2座、三島神2座、稲荷神2座、雷神2座、若宮八幡2座、幸神、権現、伊豆神)とある。
*1 「十八よ魂命」:「よ」は転記ミスで正しくは「十八萬魂命」