旧この村の境内に雄沼・雌沼とて2の沼あり、その総称を菅沼という。共に潰て今その形なし。村名これに因りしという。
府城の西南に当り行程4里10町。
家数4軒、東西1町・南北1町10間、高山の半腹に住す。
嵐気常に絶えず、五稼の実り勝れず。
山川
御身沢山
村より未(南南西)の方2町にあり。
高30丈計、明神嶽の支峯なり。
東南は
大岩村の山に連なり、西は
鳥屋村の山に続く。
雑木茂れり。
神社
沼御前神社
村南1町にあり。
祭神及び鎮座年代詳ならず。
鳥居あり。
仁王村高橋相模が司なり。
廃村
菅沼村の離村は昭和47年だそうです
- Google Map
- 菅沼地区(字前田丁) - 地図にない為、おおよその場所
- 御身沢山? - 地理院地図にある標高840mの山か?
- 沼御前神社? - あるとすれば字村南丁あたりか?
- 参照
古地図
昭和6年の地図には地名の記載あり
※地理院地図(大正2年測図/昭和6年修正)
※地理院地図より(中心付近が元菅沼地区)
町史より
沼御前神社
鎮守の沼御前神社は、水神(瀬織都比売命)を祀り、末社には雷神社があり、現在も菅沼に祀られてある。
ホウノキ地蔵
「ホウノキ地蔵」と呼ばれる地蔵尊が大きなホウノキの側に祀られてあったが、村を下りる際金田精喜宅に降ろし祀られた。
菅沼天王社
偉大な霊力を持つといわれた菅沼天王社(通称天狗さま)は、もとは明神ヶ岳の「中の岩」にあった。地元の人によると、博士山の天狗とのかかわりであろうという。「中の岩」は余りに山深く遠いため、参拝者からもう少し近くに降ろしてほしい旨の願いがあり、坂内正一が土地を提供して祀った。後に菅沼全体で祀ることになったが、中の岩から降ろされた元の「大天狗」「中天狗」「猿田彦」は坂内家に代々伝え守られてきた。昭和五十一年全戸が村を下りる際、村のものは高田の御田神社に、坂内家にあったものは平成に入ってから菅沼の地に再び戻された。
この菅沼天王社は、大二次世界対戦当事、「武運長久祈願」のため、多い日は三〇〇人程も訪れるなど連日列をなして参拝者があった。そのため道端の草は踏みちぎられていたといい、菓子類などを商う店もたったほどである。その参拝者の求める御守りの中には、「中の岩」に納められていた金の幣束を細かく切ったものを入れていたという。
最終更新:2025年08月13日 20:46