河沼郡代田組強清水新田村

陸奥国 河沼郡 代田組 強清水新田(こはしみつしんでん)
大日本地誌大系第33巻 95コマ目

寛文2年(1662年) 荒井新四郎というもの八田野村及び会津郡滝沢組金堀村原組赤井村の境内の原野を闢て1村を開く。因て河沼・会津2郡の地相雑はれり。

村中に強清水という清泉あるに因り村の名とす。

府城の東北に当り行程1里12町。
東西3町を隔て2区に住す。
東を上村(かみむら)といい、西を下村(しもむら)という。
下村、家数15軒、東西1町30間・南北2町余。
二本松街道を挟み両頬に住し西北に田畝を開き東は山に()ふ。
上村、家数14軒、東西2町・南北1町30間。
二本松裏街道の南に住し北に水田を開き三面は山に傍ふ。

東3町45間原組篠山村の界に至る。その村は辰(東南東)に当り24町30間余。
西2町9間滝沢組金堀村の界に至る。その村は申(西南西)に当り10町20間余。
南2町31間原組原新田村の山に界ふ。その村まで5町40間。
北2町47間八田野村の山に界ふ。その村は戌(西北西)に当り1里7町余。

山川

強清水

下村の東山下にあり。
周9尺計。
(はなは)だ清冽なり。

水利

村の1里2町余巳(南南東)の方にて赤井川を引き田地の養水とす。
萬治2年(1659年)荒井新四郎これを築く。

旧家

荒井鐵蔵

その家系に拠るに、先祖は荒井右馬之丞とて仙道荒井に居住し葦名盛氏に仕ふという。その子七郎浪人してこの地に来り蒲生氏に仕ふ。当家封を受けて後萬治2年(1659年)その子新四郎自ら奮て家資を損て200間余の堰を(うが)ち許多の新田を開き1村を構ふ。今なお武具若干を持伝え代々この処に住す。



親は諸白、子は清水

民謡:会津磐梯山でも歌われているように、強清水には親が飲むと諸白(もろはく:上級なお酒)で子が飲むと普通の水という民話があります。
似た話は全国にあり、一般的には老いた親を子が助けるという養老孝子伝説として言い伝えられているようです。有名どころでは茨城県石岡市の村上に伝わるもので、聖武天皇の時代にいた与一という孝行息子が汲んできた清水を親が飲むと酒になったという話です。
会津の強清水は逆です。働き者の親が清水を飲むとお酒になり、それを見つけた怠け者の子供が飲んでも水でしかないという話。
詳しくは→うつくしま電子辞典
最終更新:2022年06月10日 14:42