河沼郡青津組谷地村

陸奥国 河沼郡 青津組 谷地(やち)
大日本地誌大系第33巻 113コマ目

府城の西北に当り行程3里7町。
家数23軒、東西1町30間・南北2町40間、四方田圃(たんぼ)なり。

東1町・南3町、共に御池村の界に至る。その村は巳(南南東)に当り5町。
西5町20間下政所村の界に至る。その村まで9町50間。
北2町30間青木村の界に至る。その村まで7町30間。
また
戌(西北西)の方5町42間西青津村の界に至る。その村まで9町50間余。

神社

羽黒神社

祭神 保食神
相殿 八幡宮
伊豆神
山神
権現
勧請 不明
村より未申(南西)の方2町50間にあり。
祭神保食神なり。
林木蕃蔚して神さひたり。

境内数所に沼あり。最大なるを親池(土人相伝て、この沼の霊は月毛駒(つきげのこま)にして往昔佐々木高綱が乗たる生食*1はこれより産すと。またこのほとりに放馬して良馬を産することありという)(かまど)沼という。
この沼より次第してその数48に至る。(ゆえ)に四十八瀬神社とも称す。

昔は社頭巨宏にして沼ことに神祝(かむほき)1員これを守り(今大夫屋敷という字のこる)、詣するもの垢離(こり)すること48度に至らしむという。また当社の神託を乞に巫祝(ふしゅく)別に竃火を設ず竃沼の水を以て湯に換しという。
祭禮6月25日。
鳥居あり。

垂髪拱手の神像
長2尺計。
その體朽損(きゅうそん)して古物なり。

神職 兼子大和

塔寺八幡宮の神祝戸内右近が2子戸内若狭というもの当社の神職となる。今の大和豊次は若狭が玄孫にて塔寺村に住す。


外部リンク等




村名について

明治8年(1875年)、谷地村・佐藤分・谷地新村・中政所村(の一部)が合併し三谷村が発足する。
明治22年(1889年)、青木村・青津村・沼越村・立川村・五香村・御池田村・三谷村・中泉村・合川村が合併し広瀬村が発足。
昭和30年(1955年)、坂下町・若宮村・金上村・広瀬村・川西村・八幡村が合併して会津坂下町が発足。

地図

※地理院地図(明治43年測図/昭和6年修正測図)

広瀬神社(廣瀬神社)

町史より)
祭神 若宇賀乃売神
祈願祭(例祭) 四月二十五日
例祭      六月二十五日
感謝祭     十一月二十八日
もとこの神社は羽黒権現または四十八ヶ瀬権現と称して、境内及び周辺に四十八の沼があったのこと。

名馬 生食

町史より)
佐々木四郎高綱が宇治川先陣争いの時*2の乗馬は、広瀬神社境内の親沼から現れた生月(生食)という名馬であったと伝えられる。この生月が白馬であった故か谷地では白馬を飼わない。また白い鯉は親沼に放したという。昔はこの辺の馬は放し飼いにしていた。
※この名馬の名は全国的にも「生唼(池月)」(いけづき)の方が広く伝わっている。
最終更新:2025年10月31日 19:47
添付ファイル

*1 おそらく彼の愛馬「生唼(いけづき)(池月)」の事と思われます

*2 寿永3年(1184年)の宇治川の戦い