府城の西北に当り行程3里7町。
家数23軒、東西1町30間・南北2町40間、四方田圃なり。
東1町・南3町、共に
御池村の界に至る。その村は巳(南南東)に当り5町。
西5町20間
下政所村の界に至る。その村まで9町50間。
北2町30間
青木村の界に至る。その村まで7町30間。
また
戌(西北西)の方5町42間
西青津村の界に至る。その村まで9町50間余。
神社
羽黒神社
| 祭神 |
保食神 |
| 相殿 |
八幡宮 |
| 伊豆神 |
| 山神 |
| 権現 |
| 勧請 |
不明 |
村より未申(南西)の方2町50間にあり。
祭神保食神なり。
林木蕃蔚して神さひたり。
境内数所に沼あり。最大なるを親池(土人相伝て、この沼の霊は月毛駒にして往昔佐々木高綱が乗たる生食はこれより産すと。またこのほとりに放馬して良馬を産することありという)竃沼という。
この沼より次第してその数48に至る。故に四十八瀬神社とも称す。
昔は社頭巨宏にして沼ことに神祝1員これを守り(今大夫屋敷という字のこる)、詣するもの垢離すること48度に至らしむという。また当社の神託を乞に巫祝別に竃火を設ず竃沼の水を以て湯に換しという。
祭禮6月25日。
鳥居あり。
垂髪拱手の神像
長2尺計。
その體朽損して古物なり。
神職 兼子大和
塔寺八幡宮の神祝戸内右近が2子戸内若狭というもの当社の神職となる。今の大和豊次は若狭が玄孫にて塔寺村に住す。
外部リンク等
村名について
明治8年(1875年)、谷地村・佐藤分・谷地新村・中政所村(の一部)が合併し三谷村が発足する。
明治22年(1889年)、青木村・青津村・沼越村・立川村・五香村・御池田村・三谷村・中泉村・合川村が合併し広瀬村が発足。
昭和30年(1955年)、坂下町・若宮村・金上村・広瀬村・川西村・八幡村が合併して会津坂下町が発足。
地図
広瀬神社(廣瀬神社)
祭神 若宇賀乃売神
祈願祭(例祭) 四月二十五日
例祭 六月二十五日
感謝祭 十一月二十八日
もとこの神社は羽黒権現または四十八ヶ瀬権現と称して、境内及び周辺に四十八の沼があったのこと。
名馬 生食
佐々木四郎高綱が宇治川先陣争いの時の乗馬は、広瀬神社境内の親沼から現れた生月(生食)という名馬であったと伝えられる。この生月が白馬であった故か谷地では白馬を飼わない。また白い鯉は親沼に放したという。昔はこの辺の馬は放し飼いにしていた。
※この名馬の名は全国的にも「生唼(池月)」(いけづき)の方が広く伝わっている。
最終更新:2025年10月31日 19:47