河沼郡青津組御池村

陸奥国 河沼郡 青津組 御池(おいけ)
大日本地誌大系第33巻 113コマ目

この村に古より観音堂(今は西光寺境内にあり)ありてその地に蓮を栽たる1小池ありければ村名を小池といえり。寛文中(1661年~1673年)今の字に改む。

府城の西北に当り行程3里5町。
家数21軒、東西2町56間・南北1町51間。
東は端村東御池につづき三面に田圃(たんぼ)あり。

東6町4間十日町村の界に至る。その村は辰(東南東)に当り11町余。
西4町余坂下組中政所村の界に至る。その村まで9町余。
南4町坂下組金上村の界に至る。その村まで8町余。
北10町余曲沼村に隣りその村際を界とす。
また
戌(西北西)の方8町57間下政所村の界に至る。その村まで3町30間余。
亥(北北西)の方2町谷地村の界に至る。その村まで5町。

端村

東御池(ひかしおいけ)

本村の東続きにあり。
家数19軒、東西2町4間・南北2町9間。
四方田圃なり。

下御池(しもおいけ)

本村の北10町にあり。
家数2軒、東西25間・南北30間。
南に田圃ありて東西北は曲沼村につづく。

山川

清水

村北5町にあり。
周4間。女郎清水と称す。

寺院

西光寺

村より亥(北北西)の方1町にあり。
羽黒山と號す。
曹洞宗天正元年(1573年)会津郡南青木組天寧村天寧寺より春廣という僧来て当寺を草創し天寧寺の末山となる。
本尊観音客殿に安ず。

観音堂

境内に入て左にあり。
正観音を安ず。
座像、長7尺8分。
会津三十三所順禮の一なり。
この堂もとは村の北につづきてありしが堂舎破壊せしを、寛文の頃(1661年~1673年)行人重海というものここに来りこの地に小庵を営てこれを安ず。その後享保8年(1723年)西光寺住侶郭瑞がときここに移すという。旧地に堂屋敷という字のこれり。


最終更新:2020年05月07日 09:13