会津郡弥五島組白岩村

陸奥国 会津郡 弥五島組 白岩(しらいは)
大日本地誌大系第31巻 85コマ目


府城の南に当り行程8里。
家数16軒、東西30間・南北2町4間。
四方菜圃(さいほ)なり。

村中に官より令せらるる掟条目の制札あり。

東1里23町芦原村の界に至る。その村は丑(北北東)当り1里9町。
西4町弥五島村に界ひ大川を限とす。その村は未(南南西)当り18町。
南12町松川組水門村の界に至る。その村まで1里。
北11町湯原村の界に至る。その村まで18町。

昔村中に白き岩あり。村名これに因ると云う。

小名

中井(なかい)

本村の東2町にあり。
家数15軒、東西38間・南北2町10間。
四方菜圃(さいほ)なり。

上村(うはむら)

本村の寅(東北東)の方4町にあり。
家数20軒、東西1町5間・南北1町25間。
北は渓流に()ひ三方菜圃(さいほ)なり。

向白岩(むかひしらいは)

本村の寅(東北東)の方6町にあり。
家数12軒、東西1町・南北1町10間。
東は山林に連なり、西は田圃(たんぼ)なり。

端村

雑根(ざうね)

本村の東1里にあり。
家数10軒、東西19間・南北1町54間。
東は渓流を帯び三方に菜圃(さいほ)あり。

山川

塔岪(たふのへつり)

方言で淵を謂てへつり(・・・)とす。

村南1町余、大川の岸に傍て山麓を伝え松川組水門村に通る経路あり。
断崕(だんがい)数丈流れに臨て(そび)ひその腰(わずか)に1歩を通ず。棚桟を架すること3所、嶮難(けんなん)云計なし(西崕は弥五島村の地に属す)。
東崕最(けわ)しく巨巌(きょがん)往々に畳起す。高きものは15、6丈、(ひく)きものは12、3丈。状9廥塔の如く極て奇なり。故にこの名ありとぞ。その下絶壁の所躑躅(つつじ)紫藤多し。(また)佳観とす。
傍ら1代巌の腰に空嵌の所ありて虚空蔵を安ず。
総てこの境1丘1(たに)称して名区とせざるところなし。
左に載す。

鷲塔岩(わしがたふいわ)

東崖にあり。
9層塔の如く。その頂は鷲の頭に似たり故に名く。

鷹塔岩(たかがたふいわ)

鷲塔岩の北にあり。
岩上に小鷹巣を架して年々雛を卵わる故名く。

獅子塔岩(ししがたふいわ)

鷹塔岩の北にあり。
状獅子の面に似たり故に名く。

屋形塔岩(やかたたふいわ)

獅子塔岩の北にあり。
家屋の状に似たり故に名く

以上、松川組水門村の境内に属す。

鰐口岩(わにくちいわ)

西崖にあり。
状、似たる故名く。

陰陽石(いんいやういし)

大川の西渚に1大石あり。状男根に似たり。
また東渚の1石、状女陰に似たり。
土人名て陰陽石とす。

櫓塔岩(やくらたふいわ)

東崖にあり。
状楼櫓の如し故に名く。

九輪塔岩(くりんたふいわ)

櫓塔岩の北にあり。
状梵塔の九輪に似たり故に名く。

屋形塔岩(やかたたふいわ)

九輪塔岩の北にあり。
状大抵前の屋形塔に異ならず。

象塔岩(ざうがたふいわ)

屋形塔岩の北にあり。
状象の鼻に似たり故に名く。

疣清水(いぼしみず)

象塔岩の側、岩上にあり。
疣ある者この水にて洗えば(たちま)ち解くという。

(うし)りう

東崖大岩の下に抗洞あり。
臥牛(がぎゅう)の如く頭尾(そな)わる。
土人この洞の中をさして牛りうという。
りうは洞の方言なり。

護摩堂岩(ごまたういわ)

牛りうの北にあり。
状堂宇の如し故に名く。

舞台岩(ふたいいわ)

虚空蔵堂の前にあり。
岩上平坦にして数十人を載すべし故に名く。

烏帽子石(えぼしいし)

護摩堂岩の北にあり。
状似たる故名く。

夫婦石(めおといし)

東渚にあり。
立石2つ相対す。土人夫婦をもて名く。

屏風岩(ひやうふいわ)

東崖にあり。
石壁屈曲して屏風に似たり故に名く。

魚淵(うおふち)

舞台岩の前にあり。
大川の洞流する所、岩決れて淵となる。
魚多く集まるところ故名く。

大川

村西4町計にあり。
水門村の境内より来り、北に流るること23町、湯原村の界に入る。

関梁

白岩口

村より寅(東北東)の方、白川領にゆく道にあり。
木戸門を設け番戍(ばんじゅ)を置き往来を察せしむ。

神社

熊野宮

祭神 熊野神?
鎮座 不明
小名・上村にあり。
鳥居あり。

神職 星日向

先に当社の神職白石因幡という者あり。年代を伝えず。
彼が家絶えて今の日向利春が父佐太夫某という者神職となるという。

白鳥神社

祭神 日本武尊
鎮座 不明
小名・向白岩にあり。
鳥居あり。星日向これを司る。

御霊神社

祭神 御霊神?
勧請 不明
端村・雑根の辰巳(南東)の方2町にあり。
鳥居あり。星日向が司なり。

日光神社

祭神 大己貴命 下、日光神と云う者皆同
鎮座 不明
村東40間にあり。
村民の持なり。

寺院

虚空蔵堂

塔岪の東(がけ)に空嵌あり。
2間四面、屋を架せず。
崕に縁て構ふ。
草建の時代を知らず。
村民の持なり。

墳墓

館跡

小名・向白岩の丑(北北東)の方山上にあり。
東西10間・南北13間。
今はその形もなし。
いつの頃にか和田左衛門爲宗と云う者住せりと云う。





余談。
白岩口に番所があったという事は、それなりに行き来があった街道だったと思いますが、今はその片鱗もありません。明治時代の旅行地図にも白岩から白河方面に街道の記載はありません。
少し調べて見たら、雑根に行く路の途中を北上し芦原村枝松村方面に向かうオソフキ峠なる峠道はありました。枝松村から白河方面の湯本村(現・天栄村)に向う街道(蝉坂)はあったので、そこに合流する路だったのでしょうか?

追記。
どうやら雑根から二岐山の北を回って湯本村に行くルートがあったようです。また上記のオソフキ峠もそうですが、北上して枝松村方面に向い、蝉峠から岩瀬郡に抜けるルートもあったようです。
最終更新:2022年08月04日 18:18
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