河沼郡坂下組中政所村

陸奥国 河沼郡 坂下組 中政所(なかまんところ)
大日本地誌大系第33巻 120コマ目

府城の西北に当り行程3里12町。
家数31軒、東西1町28間・南北2町44間。
四方田圃(たんぼ)なり。

東6町46間金上村の界に至る。その村は辰(東南東)に当り10町40間。
西1町和泉河原新田村の界に至る。その村は申(西南西)に当り3町30間余。
南4町20間坂下村に界ひ宮川を限りとす。その村は未(南南西)に当り19町40間余。
北8町3間青津組下政所村の界に至るその村まで8町余。
また
丑(北北東)の方8町8間青津組谷地村の界に至る。その村まで15町10間。

端村

上政所(かみまんところ)

神役目録に上政所村あればもとは別村にて後端村となりしと見ゆ。
本村の南3町30間にあり。
家数10軒、東西1町8間・南北56間。
南は宮川に()ふ。

山川

宮川

村南4町20間にあり。
金上村の境内より来り、3町20間余西に流れ和泉河原新田村の境内に入る。

関梁

村南宮川に架す。
耶麻郡の諸村より坂下村に通る路なり。
長24間、土橋なり。

寺院

定徳寺

村北にあり。
開基分明ならず。
應永中(1394年~1428年)圓識という僧住せりという。
山號を徳栄山といい笈川組勝常村勝常寺の末寺真言宗なり。
本尊釈迦客殿に安ず。





最終更新:2020年05月08日 13:54