府城の西北に当り行程3里。
家数70軒、東西8町・南北1町44間、四方田圃なり。
東2町20間
青津組村田村の界に至る。その村は辰(東南東)に当り8町40間余。
西3町44間
中政所村の界に至る。その村は戌(西北西)に当り10町40間。
南3町48間
坂下村の界に至る。その村は申(西南西)に当り13町。
北4町30間
青津組御池村の界に至る。その村まで8町50間余。
山川
宮川
村より5町計未申(南西)の方にあり。
坂下村の界より来り、3町西に流れ
中政所村の界に入る。
原野
秣場
村より1町辰巳(南東)の方にあり。
東西1町40間余・南北4町。
神社
諏訪神社
村西2町にあり。
原村山田伊勢これを司る。鳥居あり。
寺院
金上寺
村中にあり。
曹洞宗鐘鑄山と號す。
会津郡南青木組北青木村善龍寺の末寺なり。
何れの事の開基ということ詳ならず。
貞治中(1362年~1368年)雲道という僧住せりという。
本尊薬師客殿に安ず。長2尺2寸。相伝て運慶作とす。寛文中(1661年~1673年)までは像背に『貞治二卯年安置住持雲道』と銘あり(貞治2年:1363年)。今は火災に罹て文字見えず。
古蹟
館跡
金上寺の南にあり。
土居堀の形残り民屋数家となれり。
金上遠江守盛備居館の跡という。
外部リンク等
- Google Map
- 参考
- 金上 - 会津坂下町史 3 (歴史編)
- 金上城跡 - 全国文化財総覧
- 金上地区 - 会津坂下町の伝説と史話
古地図
村名について
明治8年(1875年)、樋口分・金上村・東金上村が合併し東金樋村が発足。
明治10年(1877年)、東金樋村が金上村に改称。
明治22年(1889年)、福原村・宮古村・金上村・海老細村・塚原村・開津村・新開津村が合併し改めて金上村が発足。
昭和30年(1955年)、坂下町・若宮村・金上村・広瀬村・川西村・八幡村が合併して会津坂下町が発足。
社寺
6.神社
諏方神社 祭神:建御名方神 祭日:五月三日(旧五月一日) 四百刈地内。もとの境内は村北にあったが今の地(鶴沼川跡)に移されたのは保科氏の時代ではあるまいか。旧境内は田圃になっているが、耕作者は不浄な肥料を施さぬよう心掛けている。鎮守神。
7.寺院
鐘寿山金山寺 曹洞宗 本尊:阿弥陀如来坐像 像高三十三糎 館地内。伝承によれば、高寺山三十六坊の一つ金上坊が独立して字的場に金上寺として建立されたという。
太子堂 聖徳太子像は孝養像と思われるが腐朽がはなはだしい。高さ七十二糎 幅二十六糎
※諏方神社の相殿神の記載がないのは残念。大明神とは何の神様なのでしょう
最終更新:2025年11月12日 21:12