府城の西北に当り行程2里18町。
家数22軒。
東西2区に住し、東住・西住という。その間1町16間を隔つ。
東住、東西1町24間・南北1町22間。
西住、東西1町10間・南北1町20間。
共に四方田圃なり。
村南越後街道に一里塚あり。
東28間余
細工名村の界に至る。その村は辰(東南東)に当り8町10間余。
西2町38間・北2町22間、共に
青津組村田村の界に至る。その村は北に当り3町20間。
南3町42間
下茅津村の界に至る。その村まで8町10間余。
水利
富川堰
寺院
真養寺
東住の東にあり。
創立の始分明ならず。曹洞宗久泰山と號す。
天正18年(1590年)より天寧村
天寧寺の末寺となるという。
弥陀を本尊とし客殿に安ず。
古蹟
館跡
東住の村中にあり。
東西1町・南北1町10間余。
民家となれり。
何れの事にか藤倉久太郎重信という者住せし所という。
最終更新:2020年05月08日 20:42