河沼郡坂下組中茅津新田村

陸奥国 河沼郡 坂下組 中茅津新田(なかかやつしんでん)
大日本地誌大系第33巻 123コマ目

この村は寛永14年(1637年)に開く所の新田なり。

府城の西北に当り行程2里18町。
家数7軒、東西1町56間・南北1町。
四方田圃(たんぼ)にて東北は宮川に近し。

東1町15間牛沢組中茅津村に界ふ。
西1町13間牛沢組上下金沢両村の界に至る。下金沢村は申(西南西)に当り7町50間余。
南1町13間上金沢新田村の界に至る。その村まで4町10間余。
北48間中茅津村に界ひ宮川を限りとす。
また
辰巳(南東)の方5町36間牛沢組上茅津村に界ふ。

山川

宮川

村より5町30間余辰巳(南東)の方にあり。
上茅津村の界より来り、北に流れ中茅津村と入逢の地を経て西に流れ上下金沢両村の界に入る。
この村の境内を経ること6町10間余。


参照・補足

  • 新編会津風土記には寛永十四年(1637)開くとあるが、それ以前に「西海坊」によって開墾されたと伝えられる。
  • この土地は中開津分で、その頃鶴沼川は村西を流れており、今でも「古川」の地名がある。「中海津新田村」といったが、宝永二年(1705)に中茅津新田村と改められ、のちに中新田というようになった。文化(1804年~1818年)年間頃には鶴沼川は村東に移動して現在の様相をなしている。

外部リンク等



村名について

明治8年(1875年)、上金沢村・上新田村・中新田村(中茅津新田)が合併し上中沢村が発足。
明治10年(1877年)、金矢村・上中沢村が合併して五ノ併村となる。
明治22年(1889年)、牛川村・勝大村・樋島村・大沖村・五ノ併村・白狐村・葉林村が合併し若宮村が発足。
昭和30年(1955年)、坂下町・若宮村・金上村・広瀬村・川西村・八幡村が合併して会津坂下町が発足。

神社

町史より)
6.神社
熊野神社 祭神:伊弉冉神・速玉男神・事解男神 祭日:旧暦三月十五日 中島地内。元は字北河原にあったそうで、今でもその地を古社地と称している。明治初年に今の地に移し拝殿を造営した。鎮守神。また昔の大洪水の時、お宮が流されて古坂下の台の宮に漂着したのを貰って来たといい伝えがある。
※台の宮とは台ノ宮公園(会津坂下町)付近の事かと。
最終更新:2025年11月16日 22:25