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河沼郡坂下組田中村

陸奥国 河沼郡 坂下組 田中(たなか)
大日本地誌大系第33巻 126コマ目

府城の西北に当り行程4里18町。
家数15軒、東西1町30間・南北3町23間、四方田圃(たんぼ)なり。

東1町24間大原村の界に至る。その村まで1町40間。
西1町34間窪倉村の界に至る。その村は未申(南西)に当り2町20間。
南は村際にて窪村に界ふ。その村まで8町20間余。
北2町51間東羽賀村の界に至る。その村は戌亥(北西)に当り7町30間余。
また
丑寅(北東)の方17町30間長井村の山に界ふ。その村まで30町。

端村

西海枝(さいかち)

本村の北1町20間余にあり。
家数13軒、東西1町18間・南北1町15間、四方田圃なり。

水利

堤2

一は千場山(せんはやま)堤という。
周50間、村より7町10間余寅(東北東)の方にあり。

一は春沢(はるさは)堤という。
周80間、村の寅卯(東北東~東の間)の方14町にあり。

神社

地神社

祭神 地神?
相殿 伊勢宮
稲荷神
山神
熊野宮
草創 不明
端村西海枝の丑寅(北東)の方にあり。
鳥居あり。塔寺村兼子大和これを司る。

大明神社

祭神 不明
勧請 不明
村より30間余丑寅(北東)の方田畝の中にあり。
勧請の始しらず、祭神詳ならず。
鳥居あり。村民の持なり。

寺院

松音寺

村の戌亥(北西)の方にあり。
高峯山と號す。天文15年(1546年)月庵という僧創建せりという。
曹洞宗船渡村善明寺の末山なり。
本尊観音客殿に安ず。

観音堂

端村西海枝の東にあり。
草創の時代分明ならず。
村民の持なり。

古蹟

館跡

村北10町計にあり
東西30間・南北1町20間。
何れの頃にか田中兵部少輔頼任という者住せりという。


参照・補足

  • 宝徳三年(1451年)6月、北原村を田中村と改める。

外部リンク等



村名について

明治8年(1875年)、大原村・田中村・東羽賀村が合併し大田賀村が発足。
※以降、河沼郡坂下組大原村#村名についてを参照

社寺


延宝三年(1675年)4月16日
田中村、伊勢宮・稲荷神社・山ノ神の三社を西海枝鎮座の地神社に移し相殿とす。また大原村熊野宮を移し祀る。
大原村、鎮守熊野権現を田中村西海枝地神社へ寄宮とする。
西海枝村、熊野神社に椚前(くぬぎのまえ)の稲荷社、樟野の若宮八幡宮を移し相殿とす。

元禄十二年(1699年)12月
田中村松音寺、本尊聖観世音木造安置さる。住職探髄和尚。
正徳四年(1714年)7月
田中村松音寺住持探髄和尚、木造地蔵菩薩像を安置す。

鎮守と祭神

旧村名 旧社格 鎮守 祭神 旧祭日
西海枝 小社 熊野神社 伊弉冉尊(いざなみのみこと) 9.9
田中 小社 地神社 埴安姫(はにやすひめ)命・天照大神
大山祇神・事解主(ことさかぬし)
伊弉諾神・倉稲魂命
速玉男(はやたまお)
4.27


余談

会津古塁記によれば
一、田中村柵 東西二十二間 南北二十一(二十)間 昔北原村と云ふ。又上原村と云ふ。宝徳三年(1451)辛未田中村と改む。天正之頃田中兵部少輔頼任住す。
とあります。天正の頃(1573年~1593年)田中頼任という方が住んでいたようです。
はっきりとした場所はわかりませんが、村北10町(約1㎞)にある南北に長い場所となればこのあたり(地神原)でしょうか?
最終更新:2025年11月23日 23:16