栗村堰


栗村堰は坂下町の南から西を巡り北に抜ける水路です。なぜ坂下堰ではなく栗村堰かというと、今の坂下町(の西側)には栗村という村がありました。旧坂下村が火災に罹り逃げ延びた村民が栗村近辺に移住し、後にこの村の名を坂下村としたのです。旧坂下村の村民が移住する前からこの堰は完成していたため、そのまま名前が残りました。

栗村堰は村の南方大沼郡中荒井組和泉新田村の東側から宮川の水を引き、約13㎞にも及ぶ人口の水路を引き下流の村々の養水となりました。この辺りに~新田という地名が多く残るのはこの堰による水の利が大きく貢献していたためです。栗村堰は途中渓水や支流の川(田沢川・牛沢堰等)を受け北に流れ坂下村の北に抜け、最終的に河沼郡青津組船越村の東側にて宮川(現・旧宮川)に入ります。

この栗村堰を作ったのが栗村(坂下村)の地頭栗村下総という方です。この地の水の便の悪さを嘆き、稲荷神社に7日7夜祈願したところ、霊夢を授かりこの堰を開発することを決意しました。工事は順調には進まなかったようですが、元亀元年(1570年)苦労の甲斐もありどうにか完成することができました。子孫である笠間平大夫は代々この堰の守役を務めることになったそうです。



簡易年表
和暦   西暦  出来事
天喜5年 1057年 塔寺村八幡宮所蔵神役目録に番下村の記録あり
永仁4年 1296年 栗村弾正盛俊、栗村の地に笠松館を築く(栗村氏を名乗る)
         水利の便が悪いと思っていた栗村氏、霊夢を見る
元弘元年 1331年 水路工事に着手
正慶2年 1333年 鎌倉幕府滅亡。戦乱の時代に入る。水路工事は中断
正平中 1346年~1369年 水路工事の再開
元亀元年 1570年 栗村堰完成
文禄4年 1595年 坂下村で火災発生。栗村と合せ1村となる



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