もと家数6軒ありしに、慶長16年(1611年)の地震に泥沼山村の境内鳥屋山崩れ村落一時に埋みしが、村民1人不思議にその難を遁れしかば長桜村に民屋を構えしという。今にこの村の民居1軒長桜村に住す。
参照
外部リンク等
二栗村
(町史より)
走沢川上流の西岸にある。慶長十六年(1611)の地震の時六軒あった家が土砂に埋まり、ただ一人助かった者が長桜村に移り住んだとつたえられる(『新編会津』)。[寛文5(1665年)]家数1軒・竈1・男1人・女2人、石高二〇石九斗九升二合。[明治3(1870年)]二五石四斗七升一合。
最終更新:2025年09月20日 18:07