府城の西に当り行程7里20町。
家数5軒、東西30間・南北30間。山間に住す。
東15町牛沢組
椿・
小巻両村の山に界ふ。
西20間
二栗村の地に界ふ。
南2町40間
長桜村の界に至る。その村まで3町10間余。
北3町40間
程窪村の界に至る。その村まで7町40間。
山川
沼2
一は村より戌(西北西)の方20間余にあり。
周5町、福田沼という。
一は村より卯辰(東~東南東の間)の方15町にあり。
周2町、鳥屋沼という。
共に慶長中(1596年~1615年)の地震に鳥屋山(柴山峠ともいう)崩れし時水湛えて沼となるという。
清水
村東15町にあり。
周9尺、一貫清水という。
相伝ふ。この所往昔越後街道なりしに、何人にかこの所過る時渇きに苦て獨いいけるは、この渇きを救うことを得ば携えし1貫文の銭子を損んといいけるに、不思議に水湧出て渇を潤し頓てその銭をほとりに置いて去れり。故に名くという。
神社
熊野宮
村より辰(東南東)の方1町にあり。
鳥居拝殿あり。村民の持なり。
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柴山峠について
村の東側に柴山という地名があります。南北に林道が走っていますが、北は青沢地区(この地区を北に抜ければ国道49号線)で、南に向かえば途中東西に分かれ東に行けば小巻地区から柳津道、西に向かえば西方街道方面へと抜けます。つまり越後街道の裏街道が旧道だったのかもしれません、
※地理院地図(大正2年測図/昭和6年修正)
柴山峠という名称は残っていませんが、昔ここも重要な街道の一つだったのでしょう。
余談。
一貫清水のPDFで泥浮山は旧越後街道との記述がありましたが、天保国絵図(1838年)陸奥国会津の図によれば越後街道はもうすこし北を通っており、泥浮山は街道から外れていました。
最終更新:2024年11月01日 20:59