河沼郡野沢組泥浮山村

陸奥国 大沼郡 野沢組 泥浮山(とろふやま)
大日本地誌大系第33巻 159コマ目

府城の西に当り行程7里20町。
家数5軒、東西30間・南北30間。山間に住す。

東15町牛沢組椿小巻両村の山に界ふ。
西20間二栗村の地に界ふ。
南2町40間長桜村の界に至る。その村まで3町10間余。
北3町40間程窪村の界に至る。その村まで7町40間。

山川

沼2

一は村より戌(西北西)の方20間余にあり。
周5町、福田沼という。
一は村より卯辰(東~東南東の間)の方15町にあり。
周2町鳥屋沼という。
共に慶長中(1596年~1615年)の地震に鳥屋山(柴山峠ともいう)崩れし時水湛えて沼となるという。

清水

村東15町にあり。
周9尺、一貫清水という。
相伝ふ。この所往昔越後街道なりしに何人にかこの所過る時渇きに苦て獨いいけるは、この渇きを救うことを得ば携えし1貫文の銭子を損んといいけるに、不思議に水湧出て渇を潤し(やが)てその銭をほとりに置いて去れり。故に名くという。

神社

熊野宮

祭神 熊野宮?
勸請 不明
村より辰(東南東)の方1町にあり。
鳥居拝殿あり。村民の持なり。




柴山峠について

村の東側に柴山という地名があります。南北に林道が走っていますが、北は青沢地区(この地区を北に抜ければ国道49号線)で、南に向かえば途中東西に分かれ東に行けば小巻地区から柳津道、西に向かえば西方街道方面へと抜けます。つまり越後街道の裏街道が旧道だったのかもしれません、
※地理院地図(大正2年測図/昭和6年修正)

柴山峠という名称は残っていませんが、昔ここも重要な街道の一つだったのでしょう。


余談。
一貫清水のPDFで泥浮山は旧越後街道との記述がありましたが、天保国絵図(1838年)陸奥国会津の図によれば越後街道はもうすこし北を通っており、泥浮山は街道から外れていました。



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