河沼郡野沢組洲走村

陸奥国 大沼郡 野沢組 洲走(すはしり)
大日本地誌大系第33巻 167コマ目

府城の西北に当り行程4里30町。
家数12軒、東西40間・南北1町10間。
東は只見川に近く三方に山廻れり。

東40間坂下組船渡村に界ひ只見川を限りとす。その村は辰巳(南東)に当り13町。
西6町20間杉山村の界に至る。その村まで10町。
南4町片門村の界に至る。その村は巳丑に当り9町10間。
北14町2間西羽賀村のカニ至る。その村まで8町40間余。

山川

オソハ山

村西1町にあり。
頂まで10町。
雑木多し。

只見川

村東40間にあり。
片門村の境内より来り、北に流るること19町西羽賀村の界に入る。

水利

村より亥(北北西)の方8町にあり。周3町。

神社

春日神社

祭神 春日神?
相殿 伊勢宮
勧請 不明
村南1町20間にあり。
鳥居拝殿あり。上野尻村平野左仲が司なり。

古蹟

寺跡

村中にあり。
光明山遍照寺という。
曹洞宗の寺ありしが、延寶2年(1674年)廃す

旧家

田辺市郎右衛門

この村の肝煎なり。
家系を詳にせず。先祖は桃井綱千代(諱を失う)とて武田信玄に仕え信濃国桃井という所に住すという。
いかなる故あってこの村に住せしにかその時の文書なりとて家に蔵む。
その文如左。
  定
就亡父先忠 以法性院殿直判被相渡候 本領當知行之事 萬乙属西濱御本意者 聊不可有御相違候 但根知之城主赤見吉江励忠節 於被拘置地者 以改替可被補之由 被仰出者也 仍如件
 天正六年戊寅六月廿一日(龍ノ印)  跡部大炊助奉之
       桃井綱千代殿





最終更新:2020年05月25日 08:51