村西に只見川の船場ある故名けしという。
府城の西北に当り行程4里15町。
家数57軒、東西1町・南北4町。
越後街道に住し、東南に山を擁し西は只見川に臨む。
村中に官より令せらるる掟条目の制札あり。
村東2町に1里塚あり。
東15町
気多宮村の界に至る。その村まで17町。
西4町
野沢組洲走村に界ひ只見川を限りとす。
南5町
牛沢組和泉村の山に界ふ。
北6町
窪倉村の界に至る。その村まで10町。
また
丑寅(北東)の方村際にて
窪村に界ふ。その村まで3町。
未申(南西)の方村際にて
片門村に界ひ只見川を限りとす。その村まで2町。
山川
鐘撞堂坂
村東8町にあり。
越後街道にて気多宮村の方より来り下ること凡3町計。
頂より少下り道の東の山上に高寺鐘楼の跡あり。その傍に孤松樹あり。
只見川(揚川)
村西にあり。
和泉村の界より来り、12町北に流れ
窪村の界に入る。
寺院
善明寺
村中にあり。
曹洞宗龍松山と號す。
開基の僧を壽長といい、文明3年(1471年)この寺を剏建し天正18年(1590年)より天寧村天寧寺の末山となるという。
弥陀を本尊とし客殿に安ず。
真徳寺
村中にあり。
草創の時代詳ならず。
元亀中(1570年~1573年)光龍という僧住せしという。
真言宗、山號を大日山という。府下白狼町字在院の末寺なり。
本尊大日客殿に安ず。長2尺7寸、『大永三癸未年三月廿四日造立之佛師治部七郎』と銘あり(大永3年:1523年)。またくち損したる古佛の形體全からざるもの多し。
大威徳堂
境内にあり。
大威徳牛に乗りたる異相の古佛なり。この像ある故昔よりこの村にて牛を飼わずと言い伝う。
古蹟
館跡
村の辰巳(南東)の方にあり。
相伝て、雲雀城の跡と称す。
何人の居しり所なることをしらず。
今は崩れて川となりその地わずかに存す。
駒壇
村東2町計にあり。
四方1間計。
昔何れの時にか名馬をこの所に埋めしという。
余談。
(2020/5/9時点)GoogleMap上に白山神社がマークされていますが、少なくともそこに神社はありません。
鐘撞堂峠と船渡
現在の鐘撞堂峠は船渡に入る前に大きくカーブしていますが、昔は少し急な斜面をジグザクに降りてきたようです。
この地図を見て思ったのが、船渡から片門へ向かう道に橋が架かっていない事です。昭和6年の時点でも船で只見川を渡っていたのでしょうか。
最終更新:2020年05月25日 08:52