河沼郡坂下組船渡村

陸奥国 河沼郡 坂下組 船渡(ふなと)
大日本地誌大系第33巻 124コマ目

村西に只見川の船場ある(ゆえ)名けしという。

府城の西北に当り行程4里15町。
家数57軒、東西1町・南北4町。
越後街道に住し、東南に山を擁し西は只見川に臨む。

越後街道駅所にて野沢組片門村と相駅なり。
牛沢組塔寺村駅より29町45間ここに継ぎ、ここより3里5町17間野沢組野沢駅に継ぐ。

村中に官より令せらるる掟条目の制札あり。

村東2町に1里塚あり。

東15町気多宮村の界に至る。その村まで17町。
西4町野沢組洲走村に界ひ只見川を限りとす。
南5町牛沢組和泉村の山に界ふ。
北6町窪倉村の界に至る。その村まで10町。
また
丑寅(北東)の方村際にて窪村に界ふ。その村まで3町。
未申(南西)の方村際にて片門村に界ひ只見川を限りとす。その村まで2町。

山川

鐘撞堂坂(かねつきたうさか)

村東8町にあり。
越後街道にて気多宮村の方より来り下ること凡3町計。
頂より少下り道の東の山上に高寺鐘楼の跡あり。その傍に孤松樹あり。

只見川(揚川(あかのかわ)

村西にあり。
和泉村の界より来り、12町北に流れ窪村の界に入る。

寺院

善明寺

村中にあり。
曹洞宗龍松山と號す。
開基の僧を壽長といい、文明3年(1471年)この寺を剏建し天正18年(1590年)より天寧村天寧寺の末山となるという。
弥陀を本尊とし客殿に安ず。

真徳寺

村中にあり。
草創の時代詳ならず。
元亀中(1570年~1573年)光龍という僧住せしという。
真言宗、山號を大日山という。府下白狼町字在院の末寺なり。
本尊大日客殿に安ず。長2尺7寸、『大永三癸未年三月廿四日造立之佛師治部七郎』と銘あり(大永3年:1523年)。またくち(・・)損したる古佛の形體全からざるもの多し。

大威徳堂

境内にあり。
大威徳牛に乗りたる異相の古佛なり。この像ある故昔よりこの村にて牛を飼わずと言い伝う。

古蹟

館跡

村の辰巳(南東)の方にあり。
相伝て、雲雀城の跡と称す。
何人の居しり所なることをしらず。
今は崩れて川となりその地わずかに存す。

駒壇(こまだん)

村東2町計にあり。
四方1間計。
昔何れの時にか名馬をこの所に埋めしという。



余談。
(2020/5/9時点)GoogleMap上に白山神社がマークされていますが、少なくともそこに神社はありません。

鐘撞堂峠と船渡

※地理院地図(大正2年測図/昭和6年修正)

現在の鐘撞堂峠は船渡に入る前に大きくカーブしていますが、昔は少し急な斜面をジグザクに降りてきたようです。
この地図を見て思ったのが、船渡から片門へ向かう道に橋が架かっていない事です。昭和6年の時点でも船で只見川を渡っていたのでしょうか。
最終更新:2020年05月25日 08:52
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