村老の口碑に、この村昔一澤という。ここに産せる"芹"、気味殊に香美にて根長く3尺に至れるあり。採て都にもちゆき朝廷に献せしに、村名を都澤と唱ふべしと詔ありしという。慶長の頃(1596年~1615年)或いは宮古澤に作れる文書あり。
府城の東北に当り行程6里24町。
家数35軒、東西1町・南北2町40間、二本松街道に住す。
東は山により三面は田圃なり。
東13町余二本松領安達郡中山村の山界に至る。
西3町・南5町、共に
関脇村の界に至る。その村は南に当り8町20間余。
北5町12間
荒野村の界に至る。その村まで8町50間。
この村二本松街道の駅所にて、村中に官より令せらるる掟条目の制札あり。
楊枝村駅より1里12町ここに継ぎ、ここより1里22町
猪苗代城下に継ぐ。
山川
松取峯
村東11町余にあり。
北は荒野村の山に連り南は
壺下村の山に続く。
松樹雑木多し。
また村北に金山という処あり。寛政中(1789年~1801年)ここより鎗の穂の如きものを堀得たり。銘に『永正九年十二月廿六日加州藤原行光』と彫付けあり(永正9年:1512年)。穂の中程よりけたに曲り長9寸餘両刃にて錬鉄と見ゆ。
大沢川
村北2町30間余にあり。
大平という所より源を発し、西に流れまた南に折れ、凡8町流れ
関脇村の界に入る。
原野
牧場
村より寅卯(東北東~東の間)の方2町にあり。
東西8町・南北1町。
神社
若宮八幡宮
祭神 |
若宮八幡? |
相殿 |
熊野宮 |
|
愛宕神 |
鎮座 |
不明 |
村東1町にあり。
鳥居あり。関脇村土屋出羽が司なり。
寺院
正福寺
村中にあり。
真言宗越王山と號す。
昔、神野寺(
猪苗代城下の条下に出す)の末山なりしという。
開基の初知らず。寛文2年(1662年) より府下大町
弥勒寺の末山となる。
本尊不動客殿に安ず。
寶物
空海画像 1幅。自画なりという。
両界曼荼羅 2幅。空海筆。
地蔵堂
村中にあり。
2間2尺四面、南向き。
飛騨匠が造りしという古びたる堂なり。
何の頃にか渡邉帯刀入道という者建立すという。
木像の長5尺ある地蔵6軀を安ず。中像は徳溢の作といい伝えれども近来装飾を加えて古色を失い新古分ち難し。
正福寺これを司る。
古蹟
館跡
村東2町計、山中にあり。
周4町計。
渡邉帯刀入道居りしという。何人にか詳ならず。
最終更新:2025年06月01日 21:46