この地
川西組堤崎村の境内なれども昔猪苗代城下に属せしゆえ堤崎内町分という。耕作の便によりここに家居し
下根継と称し、後今の名に改む。慶安中(1648年~1652年)より陞せて1村とす。
府城の東北に当り行程4里24町。
家数12軒、東西2町14間・南北1町26間。
猪苗代城の西北にありて地形
町島田村に同じ。
この町近里に勝れて
風義よく淳樸の俗をなししかば、安永7年(1778年)これを賞し若干の米を散し与ふ。
水利
堤
村北2町40間にあり。
東西50間・南北40間。
延寶6年(1678年)に築く。
古蹟
館跡
村北1町にあり。
東西30間・南北24間。
神野顯元という者ここに住し鎮護山神野寺とて巨刹を創建せしという(
酸川村の条下を併せ見るべし)。
余談。
神野寺の山號『鎮護山』は神野寺の末寺であった西勝寺が引き継ぎ、天正年中(1573年~1593年)に今の地に移転しました。
※
猪苗代城下-寺院-西勝寺を参照
最終更新:2020年06月17日 23:34