昔は今の民居より6町亥子(北北西~北の間)の方に家居せりとぞ。
府城の東北に当り行程4里24町。
家数21軒、東西1町20間・南北2町、四方田圃なり。
東2町20間
堤崎村の界に至る。その村まで3町30間余。
西3町30間
大在家村の界に至る。その村は申(西南西)に当り7町20間余。
南2町34間
釜井村の界に至る。その村まで5町10間。
北5町8間
川東組町島田村の界に至る。その村まで10町余。
また
丑(北北東)の方7町10間
川東組町堤崎村の界に至る。その村まで8町余。
辰(東南東)の方2町40間
百目貫村の界に至る。その村まで5町。
山川
梵天清水
村より亥子(北北西~北の間)の方12町、
川東組町島田村の界にあり。
周8間、田地の養水とす。
名付し謂れを伝えず。
墳墓
五輪1基
村中にあり。
相伝ふ。永徳の頃(1381年~1384年)この村に冨有の民ありその墓なりという。一説に、もとは加賀国の武士にて渡部道徳と称しこの村に住し、その子孫延寶中(1673年~1681年)川東組大原新田に遷り農民となるという。今大原新田村に彼が携来り種しとて加賀梅という古木あり。
古墓
村北8町墓所の中にあり。
野面石にて表平かに高5尺計・幅4尺程、四方に縁あり。額に梵字2字、その下に蓮花座あり。下に『右奉造立石塔婆一基両面志者為慈父悲母逆修□□□□□終決定往生極樂證大菩提乃至法界平等利益成嘉元三年大歳乙巳四月十五日□□孝子敬白』とあり。中字体を弁せざる処多し。
古蹟
酸川古道
昔、酸川西流しこの村の側を流れ、
西窪村の辺にて湖水に入りしという。
村の戌(西北西)の方5町
西野という所に小沼凡21あり。みな酸川の跡なりとぞ。この沼の下流大在家・東真行・烏帽子小屋3村の田地を潤す。
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- 梵天清水?
- 五輪1基?
- 古墓? - 約900m北側となれば県道7号猪苗代塩川線を越え、町島田の境内になるが…
- 神明神社
- 島田地蔵堂
- 参考
神明神社
部落鎮守として現存。
祭礼日 旧六月二十一日。今は七月二十一日となった
地蔵堂
地蔵尊外四体の仏像安置す。
昔は、旧七月二十四・五・六日であったが、今は八月二十四・五・六日に行う。
堂内に如意輪観音を祀り、猪苗代三十三観音二十一番の札所
酸川古道
本文にさらっと書いてあるだけですが…。
昔はこの地を酸川(現在の長瀬川)が流れており、西窪(西久保)あたりで猪苗代に入っていたとの事。
※
猪苗代町史 [第1集](自然編)より
最終更新:2025年08月18日 22:12