耶麻郡川西組今和泉村

陸奥国 耶麻郡 川西組 今和泉(いまいつみ)
大日本地誌大系第32巻 17コマ目

上杉氏会津を領せし時越後・信濃両国より弓足軽20人を連来り、この村続きに組屋敷を構え信濃町と称せしとぞ。加藤氏の時までもなお故の如く猪苗代城に番衛せしかば、今なお御番道という小径あり。また的場の跡も遺れり。肥後守正之封に就に及で皆農民となり今和泉村と称す。

府城の東北に当り行程5里22町。
家数22軒、東西30間・南北3町45間。
東は酸川に()ひ四方田圃(たんぼ)なり。

東2町30間川東組下館村に界ひ酸川を限りとす。その村まで4町30間。
西2町54間猪苗代城下新町の界に至る。新町まで6町20間。
南2町43間東谷地村の界に至る。その村まで4町。
北4町40間川東組渋谷村の界に至る。その村まで1里2町。
また
戌(西北西)の方3町40間北窪村の界に至る。その村まで5町30間。

山川

酸川(すかわ)長瀬川(なかせかわ)

俗に長瀬川という。下同。
村東2町30間にあり。
渋谷村の界より来り、南に流るること9町53間本町の境内を経て西館村の方に注ぐ。
広40間計。

水利

上山下堰(うえやましたせき)

渋谷村の方より来り田地の養水とし東谷地村の方に注ぐ。
この辺より数派とし諸村の養水とするゆえ今和泉堰とも称す。

神社

山王神社

祭神 山王神?
相殿 伊勢宮 2座
   稲荷神 2座
   地神
   山神
   湯殿神
   明神
鎮座 不明
村より亥(北北西)の方1町10間余にあり。
鳥居幣殿拝殿あり。

神職 高橋和泉

天明中(1781年~1789年)出羽国米沢より来り当社の神職となる。