上杉氏会津を領せし時越後・信濃両国より弓足軽20人を連来り、この村続きに組屋敷を構え信濃町と称せしとぞ。加藤氏の時までもなお故の如く猪苗代城に番衛せしかば、今なお御番道という小径あり。また的場の跡も遺れり。肥後守正之封に就に及で皆農民となり今和泉村と称す。
府城の東北に当り行程5里22町。
家数22軒、東西30間・南北3町45間。
東は酸川に傍ひ四方田圃なり。
東2町30間
川東組下館村に界ひ酸川を限りとす。その村まで4町30間。
西2町54間
猪苗代城下新町の界に至る。新町まで6町20間。
南2町43間
東谷地村の界に至る。その村まで4町。
北4町40間
川東組渋谷村の界に至る。その村まで1里2町。
また
戌(西北西)の方3町40間
北窪村の界に至る。その村まで5町30間。
山川
酸川(長瀬川)
俗に長瀬川という。下同。
村東2町30間にあり。
渋谷村の界より来り、南に流るること9町53間本町の境内を経て
西館村の方に注ぐ。
広40間計。
水利
上山下堰
渋谷村の方より来り田地の養水とし
東谷地村の方に注ぐ。
この辺より数派とし諸村の養水とするゆえ今和泉堰とも称す。
神社
山王神社
祭神 |
山王神? |
相殿 |
伊勢宮 2座 |
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稲荷神 2座 |
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地神 |
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山神 |
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湯殿神 |
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明神 |
鎮座 |
不明 |
村より亥(北北西)の方1町10間余にあり。
鳥居幣殿拝殿あり。
神職 高橋和泉
天明中(1781年~1789年)出羽国米沢より来り当社の神職となる。
最終更新:2020年06月30日 13:59