耶麻郡塩川組下窪村

陸奥国 耶麻郡 塩川組 下窪(しもくほ)
大日本地誌大系第32巻 42コマ目

府城の北に当り行程3里14町余。
家数29軒、東西1町51間・南北2町11間。
四方田圃(たんぼ)なり。

東5町20間三橋村の界に至る。その村は辰(東南東)に当り9町余。
西2町2間塩川村に界ひ大塩川を限りとす。その村は未申(南西)に当り5町30間余。
南7町43間河沼郡笈川組浜崎村の界に至る。その村は未(南南西)に当り11町10間余。
北1町2間上窪村の界に至る。その村まで2町余。
また寅(東北東)の方5町29間竹屋村の界に至る。その村まで14町10間余。

山川

大塩川

村西にあり。
上窪村の方より来り、南に流るること14町10間塩川村の界に入る。
広7間計。

境見川

上窪村の方より来り、村中を過ぎ凡15町20間余西南に流れ大塩川に注ぐ。
この川の傍に長3尺系の石佛あり。諸病を(うれえ)るもの夜半(ここ)に詣で祈願すれば霊験ありという。里人これを姥神といい、また大日ともいう。

関梁

橋2(3?)

一は村より6町余未申(南西)の方、大塩川に架す。幅1間半・長14間、隣村の通路なり。
一は村中にあり、一は村の未申(南西)の方にあり。共に幅7尺・長6間、境見川に架す。

水利

狐堰

竹屋村の方より来りこの村の田地に(そそ)ぎ下流境見川に入る。

神社

諏訪神社

祭神 諏訪神?
相殿 伊勢宮
   天神
鎮座 不明
村中にあり。
鳥居拝殿あり。北小路大久保播磨仮に司る。

旧家

鈴木市右衛門

先祖は七左衛門某とて加藤家に仕え160石余の地を領しこの村に住せり。
加藤家石見国に移りし時七左衛門も従て彼地に行きしが、仕を致してこの地に帰り、再び越後国村松に游び剣術手跡を師範しその身を終れり。その弟を七右衛門といいこの地に止まり肝煎となり、今の市右衛門まで数世肝煎を勤む。
家に文書3通を蔵む。その文如左(※略)。




余談。
耶麻郡塩川組上窪村の方にも少し記載しましたが、この辺りは河川工事により江戸時代とは川の流れが異なります。参考として新旧の地図を載せておきます。
※地理院地図(明治43年測図/昭和6年修正)
※地理院地図(現代)
3本ある川は、左から姥堂川、大塩川、境見川。
最終更新:2020年07月01日 20:26
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