耶麻郡小沼組中目村

陸奥国 耶麻郡 小沼組 中目(なかめ)
大日本地誌大系第32巻 60コマ目

この村旧は今の地より1町20間余東にあり。何の頃にか今の地に移す。

府城の北に当り行程4里9町。
家数39軒、東西1町5間・南北3町10間。
四方田圃(たんぼ)なり。
米沢に通る街道なり。

東1町40間辻村の界に至る。その村まで12町。
西2町58間熊倉組布流村の界に至る。その村は戌亥(北西)に当り5町10間余。
南3町58間宮目村の界に至る。その村は辰巳(南東)に当り6町50間。
北1町48間熊倉組熊倉村の界に至る。その村まで16町50間。
また
丑寅(北東)の方2町20間小沼村の界に至る。その村まで8町20間。

山川

大塩川

村東4町50間にあり。
熊倉村の界より来り、南に流るること5町40間宮目村の界に入る。

神社

白鬚神社

祭神 猿田彦神(さるたひこのかみ)
勧請 不明
村東2町余にあり。
鳥居幣殿拝殿あり。高柳村山本源之進が司なり。
神體、男體木像1尺8寸。今朽損す。古物なり。
(中眼寺の条下と併せ見るべし)

寺院

中眼寺

村東1町20間にあり。
真言宗、川西組本寺村恵日寺の末寺なり。
縁起を按ずるに、昔何れの頃にか村より戌亥(北西)の方に夜々奇異の象をあらわす地あり。村民怪みけるに1日何くともなく老翁来れり。村民翁に向て怪事を語りその故を問う。翁(むか)えざりかば村民、翁は古にあきらかに今を知るべき人なるに如何てその故を示したまわぬにやといいしかば、翁その地に佛像あることを告げ忽ち消失ぬ。やがてその地に行て見れば翁の言の如く叢中(そうちゅう)に薬師の霊像1軀あり。村民渇仰(かつごう)浅からず、1宇の精舎を造立し瑠璃光山中眼寺延命院を號しその象を安置せり。先の老翁は盖白鬚明神なるべしという。
星霜久しければ創造の年月詳ならず。永正中(1504年~1521年)宗均という僧恵日寺の末寺となる。
今は薬師を別堂に安じて大日の像を以て本尊とし客殿に安ず。

薬師堂

境内にあり。
薬師立像、長1尺2寸。即叢中より現せし霊像なり。

古蹟

館跡

村の辰巳(南東)の方4町10間にあり。
東西31間・南北2町10間。
南館という。
天正の頃(1573年~1593年)中目式部大輔某住すという。今は畠となり土居の形僅かに存す。






最終更新:2020年07月09日 21:11