府城の北に当り行程3里24町余。
家数26軒、東西1町36間・南北1町21間、四方田圃なり。
東は村際にて
熊倉組源太屋敷村に界ふ。その村は寅(東北東)に当り7町40間余。
西3町29間
小荒井組渋井村の界に至る。その村は亥(北北西)に当り8町40間余。
南5町5間
塩川組塩川村の界に至る。その村は巳(南南東)に当り21町10間余。
北2町47間
一堰村の界に至る。その村まで9町20間余。
また
未(南南西)の方5町
小荒井組第六天村の界に至る。その村まで10町30間。
神社
稲荷神社
村南2町50間余にあり。
鳥居あり。熊倉村山口美濃が司なり。
寺院
浄念寺
村西にあり。
浄土真宗、西本願寺の末山なり。
元和5年(1619年)法圓という僧准如より弥陀の像と寺號を乞受けてここに来り当寺を草創せり。
彌陀を本尊とし客殿に安ず。恵心作という。長2尺の木像なり
太子堂
境内にあり。
長1尺6寸の木像、春日作という。
村名について
明治22年(1889年)4月1日、町村制の施行により、新江木村、新井田谷地村、源太屋敷村、小符根村、三吉村が合併し姥堂村となる。
昭和29年(1954年)7月1日、塩川町・姥堂村・駒形村・堂島村が合併し、改めて塩川町が発足。
平成18年(2006年)1月4日、熱塩加納村・塩川町・山都町・高郷村が喜多方市と合併し、改めて喜多方市が発足し、郡より離脱。
※明治~昭和の合併の中、小田付(喜多方)の端にあった村は、塩川町に編入になり、平成になって喜多方に戻った事になりますね
最終更新:2025年08月21日 22:58