耶麻郡熊倉組源太屋敷村

陸奥国 耶麻郡 熊倉組 源太屋敷(けんたやしき)
大日本地誌大系第32巻 78コマ目

府城の北に当り行程3里18町。
家数27軒、東西2町8間・南北1町26間。
四方田圃(たんぼ)なり。

東1町59間太田村の界に至る。その村は丑寅(北東)に当り7町50間余。
西5町20間小田付組一堰村の界に至る。その村は戌亥(北西)に当り9町10間余。
南2町8間塩川組新井田村の界に至る。その村まで5町10間。
北6町50間下高額村の界に至る。その村まで10町10間余。
また
辰巳(南東)の方2町20間高木村の界に至る。その村まで12町。
未申(南西)の方7町48間小田付組新井田谷地村に隣りその村際を界とす。

山川

大奈川(おほなかわ)

村西5町にあり。
上流を大堰という。
一堰村の境内より来り、南に流るること12町塩川組新井田村の界に入る。
広4間計。

水利

下前堤

村南9町にあり。
周3町余。享和3年(1803年)築く。
本村及び小荒井組第六天村、塩川組塩川村の養水とす。

神社

諏訪神社

祭神 諏訪神?
相殿 稲荷神 2座
   伊勢宮
   春日神
   諏訪神
   白山神
草創 不明
村より未申(南西)の方3町40間余にあり。
鳥居拝殿あり。熊倉村山口美濃が司なり。

寺院

寶蔵寺

村中にあり。
真言宗明光山と號す。
至徳元年(1384年)この村の領主平田大隅某が建立し、地蔵を安置し密宗の僧全則を請て住せしむ。
寛永15年(1638年)勝常村勝常寺の末寺となる。
本尊大日客殿に安ず。

古蹟

館跡

村中にあり。
本丸跡、東西1町32間・南北1町6間。
二丸跡、東西32間・南北25間。
鑑城と號す。
至徳中(1384年~1387年)葦名直盛の臣平田大隅が築きし所なりという。今は土居堀の形僅かに存す。
この余館跡4あり。
一は村の戌亥(北西)の方4町にあり。東西23間・南北32間。
一は村予知未申(南西)の方5町にあり。42間四方。
一は村西2町にあり。東西40間・南北38間。
一は村南にあり。東西42間・南北30間。
平田氏の臣佐藤・須藤・武藤・一國等が住せし所なりという。今は共に菜圃(さいほ)となる。


最終更新:2020年07月18日 19:51