府城の北に当り行程3里18町。
家数27軒、東西2町8間・南北1町26間。
四方田圃なり。
東1町59間
太田村の界に至る。その村は丑寅(北東)に当り7町50間余。
西5町20間
小田付組一堰村の界に至る。その村は戌亥(北西)に当り9町10間余。
南2町8間
塩川組新井田村の界に至る。その村まで5町10間。
北6町50間
下高額村の界に至る。その村まで10町10間余。
また
辰巳(南東)の方2町20間
高木村の界に至る。その村まで12町。
未申(南西)の方7町48間
小田付組新井田谷地村に隣りその村際を界とす。
山川
大奈川
村西5町にあり。
上流を大堰という。
一堰村の境内より来り、南に流るること12町
塩川組新井田村の界に入る。
広4間計。
水利
下前堤
村南9町にあり。
周3町余。享和3年(1803年)築く。
本村及び小荒井組第六天村、塩川組塩川村の養水とす。
神社
諏訪神社
祭神 |
諏訪神? |
相殿 |
稲荷神 2座 |
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伊勢宮 |
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春日神 |
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諏訪神 |
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白山神 |
草創 |
不明 |
村より未申(南西)の方3町40間余にあり。
鳥居拝殿あり。熊倉村山口美濃が司なり。
寺院
寶蔵寺
村中にあり。
真言宗明光山と號す。
至徳元年(1384年)この村の領主平田大隅某が建立し、地蔵を安置し密宗の僧全則を請て住せしむ。
寛永15年(1638年)勝常村勝常寺の末寺となる。
本尊大日客殿に安ず。
古蹟
館跡
村中にあり。
本丸跡、東西1町32間・南北1町6間。
二丸跡、東西32間・南北25間。
鑑城と號す。
至徳中(1384年~1387年)葦名直盛の臣平田大隅が築きし所なりという。今は土居堀の形僅かに存す。
この余館跡4あり。
一は村の戌亥(北西)の方4町にあり。東西23間・南北32間。
一は村予知未申(南西)の方5町にあり。42間四方。
一は村西2町にあり。東西40間・南北38間。
一は村南にあり。東西42間・南北30間。
平田氏の臣佐藤・須藤・武藤・一國等が住せし所なりという。今は共に菜圃となる。
最終更新:2020年07月18日 19:51